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DATE: CATEGORY:城館探訪
尻高城で往復でおおよそ2時間強の時間をついやし、
無事生還した儀一は次なる目的地「役原城」を目指す。

一回高山村役場付近まで国道で進み、脇道に曲がって川沿いに進む。
この川もズバリ「役原川」といい、この川沿いに役原城の所在地へと移動する。


高山報徳社跡地
役原の集落にまで来れた。
どうやら城跡は東側との事らしいが・・・道幅の広い所に路上駐車をし、探索を開始した。

役原城と思われる場所付近をうろつく
山に囲まれたこの集落は実に静かである。
風も無く、澄んだ空気が辺りを包んでいる。
こうして素直に散歩をしていても気分がいい。

ん?
えっと・・・山崎一氏の図面によるとこの辺だが・・・
お?これは!?

役原城の解説板
所在を示す解説板があった。
こんなマニアックな城にまで・・・と高山村のご好意にはづくづく感謝である。
解説板によると・・・

役原城跡
 役原城の本丸があった跡地。
 役原城の初代城主は、白井
城主長尾景春の三男で長尾重
儀といい、後に古屋に尻高城
を築城し、尻高左馬頭重儀と
改めた。
 息子に尻高城主を譲ったあ
とは、役原城に隠居した。時
に、明応年間(一四九二~一
五〇一)で、北条早雲が小
田原城に入った頃である。
平成十一年三月
     高山村教育委員会


・・・だそうである。
あれ?先の尻高城の説明板「これ」では尻高左馬頭重儀の父って長尾重国って書いてあったような・・・
もっとも後日調べてみて記述の食い違いに気づいたのであるが・・・

解説板より南を望む
道路の突き当たりが二の曲輪に該当する部分のようである。
以前は堀があったのかも知れないが、道路になってしまっていて判断する術が無い。

解説板より北側を改めて見る
道路の右側が役原城の本曲輪、つまり尻高左馬頭重儀の隠居先である。
何気に西側(写真の左)の方が地形的に高いので、そちらからは丸見え状態になっている。
どうやら「要害性」より「居住性」へ傾倒した城であるとうなずける。
たしかにこののどかな風景は隠居先に丁度良いと思われる。


そんな訳で役原城を後にした。
明確な遺構は宅地及び農地になって明瞭ではなかったが、今も縄張りの区割りが当時の面影を残していた。
のどかな役原集落を後にし、儀一は東へ向かうのであった。


次回に続く・・・。
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