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今度妄想ってカテゴリーを付けようかと思うぐらい最近妄想が激しいのう(汗

先日探訪した行田市須賀城を軽くスケッチしてみた。すると・・・

何の根拠も無しにこんな絵を描くので、フィクションだと思ってくだされ(笑
こんな感じになりました(汗
この画像アップデート機能は縮小画像が劣化するので下手な絵を描いた時には非常に重宝するかも知れぬのう(笑
して妄想の解説を・・・

城館跡を南東方向上空より見下ろした絵で、全体的に高台になっているあたりが現在の須賀小学校。それでその脇を流れるのは当時の利根川(もっと流れが複雑だったと思うが、分からないので適当に書いた)
一番西側が若干高かったように思えたので、オマケに櫓台をつけてみた。
今の小学校全体が二の曲輪になっていて、絵の右下(東部)は利根川で警備に当たる舟及び物資の搬入をした舟などが出入していたのではないかと思い、津(港)を書いてみた。
二の曲輪南部は少し空き地になっていたので、元々は湿地で、外堀の役割を果たしていたのかもしれない。
更に南側には今も小河川が流れており、自然の堤防を成しているようにも思えた。

こう考えてしまうと須賀城って忍城の北方の守りの要になってしまうんでないかと思えるぐらい地の利に適っているように思えてしまう。
物資の運搬が主に舟に頼っていた時代なので、東側の窪地を利根川から引いた入り江に例えてみると、結構物流なども盛んであったのではと思えてくる。それに上州側からの有事には軍船を配備してそれに当たるなどもしていたかも知れない。須賀城の規模を考えても軍港だけに使っていたとは考えにくいので、普段はそんな使い方をしたのかなっとも。


・・・というのが現地を見てきた手前の妄想でありました。
これが真実か否か?今後その真実が解明していくとよいのう。 AUTHOR: 小頭@和平 IP: 121.117.6.33 DATE: 08/27/2007 15:18:24 入念な下調べと経験に裏付けられた独創的なジャンルかと存じます。 在りし日の戦国の城館の光景がよみがえってまいります。 某も「利根川の歴史」入手いたしました。 価格もその内容や装丁などから考えれば、かなりお買い得な印象。 河川改修については各市町村史でもある程度イメージを構成することは可能ですが、どうしても部分的・断片的な印象は拭えません。 なお、この際ついでに「利根川荒川事典」(国書刊行会)も入手いたしました。 近世以降の記述が中心ですが、改修以前の記述もあり少しずつ目を通し始めております。 なお、現在ようやく「城破りの考古学」(藤木久志 編著/吉川弘文館)を読み始めております。 改めて気がついたことは、当時の人口に比して城館跡数の余りに多いこと。 如何に短期間しか機能せずに破壊・放棄された城(館)が多かったのかが分かるような気がいたします。 そういえばあの杉山城でさえも、主郭東側小口部分の石積み破壊を受けていることが考古学的に論証されておりました。(「戦国の城」(高志書院)より) 昨日の疲れが一向に回復の兆しを見せない小頭@和平にございました。
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