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DATE: CATEGORY:城館探訪

自分の人生の為に一時城館探訪を遠ざけたのではありますが、根性のない手前はいつも城館の事を思う毎日に・・・。

ガマンは身体に良くないので、今回は禁欲生活解除(笑
して何処に向うかと思えば所沢でございます。
しかも滝の城などの有名城館ではなく、「遺構まがい」を中心に回る事に。

●堀之内館(仮称)
所沢市の西端に「堀之内」というなんとも意味ありげな名前の場所があるので、早速訪問。
ここは隣の打越村に山口某の塁跡があり、ここはその外廓の堀の内ゆえに名が付いたとされている。
狭山丘陵より伸びる尾根が比高差20~30mの台地を作り出している場所があり、見晴らしは良好。
ただ、ここが中世城館である事はなく、すると麓の御魂神社付近にその遺構があったのではと求めるのが適切か?
なお、「殿ヶ谷」と言われる場所は行くの忘れた。

●三ヶ島館(仮称)
寶玉院付近に「内手」という地名があるだけで訪問。
しかし、付近には勝楽寺城(皆様には所沢根古屋城と言った方が通りがいいか?)の馬場であった場所もあるとの事でその周辺を調査。
寶玉院北側は砂川によって比高差3m程の段差を作り出していて、寶玉院周辺が西側に向って舌状台地をつくりだしているようにも見える。
ただ、宅地化されているので、遺構は皆無。勝楽寺城の真北に位置するので、山口氏家臣の屋敷か?それも出城か?再調査をする必要があるかも知れない。

●北野西館(仮称)
三ヶ島地区に隣接する北野地区(現在は北野南三丁目)に「後内手」「前打手」というまたも意味ありげな地名があったので探訪。
狭山丘陵から延びた尾根上に位置し、推定地域は茶畑になっているあたりと推定。南北は尾根続きで比較的緩やかだが、東西は谷になっていてそれなりの地形を有していた。
村山党山口氏の領土である事を踏まえれば、遺構があったとすればその家臣などのものか?

●北野館(仮称)
6年前の地図によれば北野地区なのであるが、現在では住所が変わり「北野南一丁目」となっている。
全徳寺の南の集落に「西内手」という地名があり、行ってみるとまた舌状台地上にある事が判明。
いや、どちらかと言えば南西の尾根続きを除けば独立した台地になっている。
全徳寺南にある中央付近の住宅のみ少しばかり高くなっており、ほぼ100m四方の形となっている。
ただそれだけで、土塁や堀といった城館遺構は発見できなかった。

●北野中丸(仮称)
ここも元北野地区であるが、現在では小手指南四丁目となっている。
北側に流れる小川が少し崖を作り出しており、「中丸」と称される地区はまたも西側から伸びる舌状台地上に位置していた。
川沿いに「梅田公園」という住宅公園があり、その真南辺りが古くからの木々がしげっており、城館がありそうな雰囲気をだしていた。
開発が著しい場所なので、更なる都市開発が行われ、遺構がありそうなヒントが失われる可能性が極めて高い。
小手指ヶ原の合戦の陣地説も考えたが、標高的に北側とほぼ同じで、視界を望めるように思えない事からその可能性は低いと思われる。

●上山口館(仮称)
元ユネスコ村の北集落に「中内手」という地名があるだけで訪問。
付近は駐車場が無いので、山口貯水池の有料駐車場に車を停め、水没したか定かでない近衛殿屋敷の遠望写真を激写。
さて、その中内手という地名の一部に「龍神社」があり、行ってみるとここもまた尾根上に作られた神社であった。
その境内を良く見ると・・・尾根上に謎の窪み。堀切にも見えなくないが・・・謎は深まる。
ちなみにそのまま尾根を登ってみたが堀切らしき地形はなかった。
勝楽寺城の周辺を守る砦の類であったのだろうか?


今回の所沢中世城館まがいツアーは、まだまだ半分しか行っていない。
東半分を探訪するのは・・・でも近々調査したいものよのう。
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