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DATE: CATEGORY:城館探訪
三角原陣屋跡遠望

よく用いられる名称は「川崎平右衛門陣屋」と言う。
三角原陣屋という名称は「高翁家録」に記されている名称であり、現地の旧地名を残したい意味も込めて、ここでは三角原陣屋と呼称する。

時代は近世江戸時代。八代将軍吉宗が享保七年(1722)に新田開発奨励をしたとき、鶴ヶ島市もその対象となった。今までは武家出身の代官が新田開発に乗り出したが、いずれも失敗した。
そこで府中押立の農民出身である川崎平右衛門定孝が代官に就任。武州三角原に陣屋を構え、新田開発に乗り出した。名代官である平右衛門の善政により、新田開発は成功し農民たちはその感激のあまり川崎大明神廟を建て、その功績を感謝したという。


という事から近世陣屋なのだが、手前が気に入ったのであえて訪問する物である。



国道407号線にある「三角原交差点」

現地へはこの三角原交差点の西と覚えれば簡単である。


現在の遺構は後世に作られたもの

かくして農地の一角に土塁に囲まれた謎の空き地を見つける事ができる。この一部が三角原陣屋だった場所であるらしい。


三角原陣屋の解説板

道路脇には解説板が設置されている。詳しくはこちらを参考にすると良さそうだ。


三角原陣屋の縄張り図

ご丁寧に図面も用意してあり、これを見ながら陣屋跡を思い偲ぶ事ができる。
だが、狭い道路なので車にご注意であるのう。


川崎大明神廟

これぞ川崎大明神を祭った廟。この場所には解説板と土塁、そしてこの廟がポツリと置いてあるだけなので見つけるのが容易である。



現在残る土塁は後世の物であるが、陣屋がここにあったという真実を後の世に知らしめる感じがし、ありがたい事なり。
コメント

私も行って来ました

儀一様情報で再度訪問しました(汗
ある資料で、鶴ヶ島中の南の番地表示なんですよね。ショック!

で、昨日銀座コージーコーナーにシュークリームを買いに行った後、訪問。
見事な土塁でしたね(爆)
もっと川崎氏の功績が評価されるといいなと思いました。せめて、郷土資料に掲載されるとか・・・

ご覧になられて何よりです。

正確に言えば昭和十六年の土地開発以降に作られた土塁ですが、それでも陣屋があった事を再構築して伝えようとしている姿勢に好感が持てます。現地の地図によれば廟のあるところはかっての陣屋の敷地内なので、そう思って訪問して味わってみるのもいいかと存じます。

鶴ヶ島市の図書館には川崎平右衛門の資料が置いてあり、そこにもこの三角原陣屋について書かれておりました。

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