fc2ブログ

カレンダー

04 | 2024/05 | 06
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

ブログ検索


天気予報


-天気予報コム- -FC2-

最近のコメント


カテゴリー


月別アーカイブ


DATE: CATEGORY:城館探訪
脚折館の遠望


鶴ヶ島市を流れる飯盛川の織り成す自然堤防上に作られたとされる館跡。鶴ヶ島町史では「大堀遺跡」と命名しているが、手前は便宜上の都合により「脚折館」と呼称する事にする。


脚折館付近を流れる飯盛川

飯盛川が館跡推定地の北側を流れる。この川の自然堤防は三角原陣屋や高倉砦といった城館跡を生み出している。


旧河川跡か?

河川の岸には謎の窪みが幾つもある。恐らくはこの川が自然に流れていたときの名残であろう。そう考えるとこの川は人の手によって深く掘り下げられた川であると言える。


堀と混同しそうだが・・・。

集落の側の方も川が流れていたらしい名残が残されている。こんな名残を見ているだけでかなり惹かれるものがある。


このあたりが館跡があったとされる場所だが・・・

ほとんどが住宅地になっているのだが、地形的な高さや旧街道の名残が残り、この脚折館の中心地であったという趣を感じさせてくれる。もっとも鶴ヶ島町の旧役場もこの近くにあった事を考えれば、昔からの中心地であったのだろう。
そんな中にも匂う場所を発見。


土塁らしき物体を発見!!

で!で!でたー!!
これは手前をクラクラさせてくれる土塁らしき土盛。大きさはそんなに無いが、これを見ただけで満足してしまいそうだ。


今の小口であろうか・・・。

車が余裕で入れるほど広がった小口。
というより元々小口であったのか疑問が残る場所ではある。まだ民家の反対側は未調査であるのでどれほどの規模を持つ館跡であるかは謎なり。


現在の飯盛川と旧河川跡

余り期待しないで行っただけに思わぬ発見をしたり。
だが、あれを素直に中世の館跡と決め付けるのは早計であるかも知れない。もう少し踏査した上で見極めるのが良いだろう。

何気にこの改修前の河川跡にちっと萌えた。
コメント

土塁ですね!

あるところにはあるものなんですね。

およその規模から拝見しても、近世の屋敷の防風林のための土塁にしては些か大きすぎますね。
戦国時代のものとすれば、在地領主階層の子孫の方のお宅なのでしょうか。

誠によいものを拝見いたしました(嬉)

私も・・・

数日前、銀座コージーコーナーでエクレアを買うついでにですが(笑)
高倉砦と、川崎陣屋を訪問しました。
鶴ヶ島も、まだまだ調べれば館跡がありそうな気配。でも、儀一殿が発見した土盛は何でしょうね・・・
今度はカインズホームに立ち寄るついでに訪問してみようかと。

和平様、いつもながらコメントありがとうございます。

地形的にも中世城館である可能性も高いのですが、手がかりはあの土塁ぐらいになってしまっておりました。
しかしながら、改修前の川の形を見るとかなり蛇行して流れていた様子で、おそらく当時は川が作り出した湿地地帯であったのだろうと考えると北側の守りは堅く、その湿地帯を水田利用したという事も容易に考えられます。また昔からの街道もある様子ですので、街道を押さえる意味でも重要性のあった館跡であったと思われます。

しかし、江戸期になり鶴ヶ島市の水田開発が本格的に始まった事を考えると中世には水田等の食料を作るには適さない地形が大部分を占めていたのだ想像できます。所領の石高はすなわち保有できる兵力(戦力)に比例しますので、生産高の低いこの脚折館は周囲の強豪勢力と比べて戦力(勢力)も弱く、文献に残らない程の実力になってしまったのだと改めて思います。

この場所は作り方によっては素晴らしい遺構が残ったと思える場所ではありますね。

左馬助様、コメントありがとうございます。

実は三角原陣屋(川崎平右衛門陣屋)と新高倉砦(高倉砦と言われるところとはまた別の所)もこの日探しに行っておりました(笑
それにしても見事に場所と時間が近かったですね。

最近思うのは昔からある集落も見逃せないという事ですね。「人が住む=城館を作るに適する」という法則が最近できてきまして、むしろ水田などに作られる館跡の方がむしろ珍しいというのが実感できております。

いつもありがとうございます。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)



copyright © 赤服の日記帳 all rights reserved.Powered by FC2ブログ

カスタマイズ