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DATE: CATEGORY:城館探訪
ついに本業・副業両方休みの日になりました。今まで行きたかった場所に少しずつ行ける・・・ワクワクして思わず夜の3時に目が覚めたり。

今の夜明けの時間を逆算し、朝食を摂る。納豆と少しのおかずで間に合わせてしまったが、それもよかろう。後は城館跡で食べる予定のおにぎりを2コ握り、いざ城館疑惑の地に赴く。

・・・途中で筆記用具を忘れた事に気付き、途中でコンビニに。筆を調達し、車は秩父郡横瀬町のヨーガイ入のある谷へ来た。


甲仁田山(久松平)

夜明けの甲仁田山

以前「城跡ほっつき歩き」の和平様のところに話題を振った場所である。地図上には「ヨーガイ入」と記入された沢があり、どの辺りかと聞いてみたらここが候補に挙がった。それで今日実際に来て見たが・・・なんか凄い形の山だ。近いからというのもあるが、妙に高く見える。でもご安心を、頂上にはミカカ社の電波塔が建っている関係で車道らしい道があるのは調べてある。早速、車で乗り込む。


車道は完全封鎖に候

ドーーーン!!って感じに完全封鎖されておりました(笑

看板内容

何?立入り禁止だと!?これでは車で山頂に行く事ができないではないか。仕方ないので戻るのだが・・・折り返せない(汗
仕方ないので後退させて旧国道へ。


入り口に「行き止まり」と書いてあった(汗

うお!?ここに「行き止まり」と明記されておるではないか。
仕方ないのでこの道以外のルートを地図に求めたら、どうやらヨーガイ入のある南側に登山道がある模様。早速その場所に行ってみる。

ヨーガイ入にある防砂堤

地図によればこの辺りから登れるようだ。丁度沢に防砂ダムがあるので大変分かりやすい場所・・・かも知れない。少しの獣道を辿りながら尾根沿いの道に行けばなんとかなるか・・・。


結構登りが急な道

結構道が喪失しているらしく、なかなか難易度の高い道だ。室山城を登ったときもこんな感じだったのを思い出す。
そういえば数ヶ月前まで熊騒動があったばかりだったので、熊除けの鈴を取り出して装着す。チリンチリン音がやかましいが、熊に襲われるよりは安全なり。

そのまま尾根沿いに登って行くと、ついにご来光を拝む事ができた。うーん、この日差しがまるで今日の城館探訪の成功を暗示してくれているようで嬉しくなった・・・が。思わず地雷を踏みそうになる。

地雷とは?→ココ


頂上付近になるともはや絶壁

この山は山頂に近づくにつれて角度が段々垂直に近づいている。思わず横を向いてみると・・・写真のような角度に・・・。
ある意味電波塔が山頂にあるので行程のいい目安になる。

現在的平場達成記念撮影

そのまま進んだら、よやく山頂についたようだ。
上の方は急に開けている。
おお!!まんま平場だ。おお、山頂は電波塔によって破壊されたのではなかったのか。思わず手を上げ大喜びする。


・・・ちょっと待て?ここはやけに平場にしては綺麗過ぎる・・・。


・・・やはり綺麗過ぎて中世の物とは思えない

うーん、木の生えた様子も無いし、平場の表面が余りにも綺麗過ぎる。


重機が通ったと思われる道。

北側には重機の通ったような道があり、北に山は続いている。



北側にも続きがある。

山頂で少しの傾斜があるだけで、堀切と呼べるようなものすらない。
とりあえず北側に行ってみる事にする。



北側にある平場

おお!!!
ここなら中世の平場と言われても納得いく。
バラバラに生えた木がそれを暗示しているようにも思えるが・・・少し木が若い感じもしなくもない。中世で繋ぎの砦以外に山頂を平たくする理由は・・・神社造形などがあるが、そういった建築物や石造物は一切なかった。



これが破壊以前は・・・なんて考えてしまう

思わず電波塔のある辺りも探索する。どうやら山頂に作ったものではなく、斜面を削って電波塔は建てられた様子だ。
それにしても写真の斜面も何か遺構があったのだろうか・・・無い可能性が高いがそれでもきになってしまうのであった。



昼頃に撮影した甲仁田山

電波塔が建つ程周りの眺望が良いというのはまんざらではなかった。東側の正丸峠を越えてくる人々を見通す事ができる場所であったので、見張りの城として活用されたのであろうと予測。
だが、決め手となる水の手はどこにあるのかサッパリ分からず。沢まで水をくむにも比高差400mはありそうだからできるとは思えない。仮にこの山を城館とするなら近くに井戸が無かったか調べてみる必要がありそうだ。

甲仁田山所在地→ちず丸へリンク


二子山(雄岳・雌岳)
甲仁田山より望む二子山

先ほど地図を見てみたが、甲仁田山を繋ぎの城とするにはどうしてもこの二子山が視界を遮ってしまう。という事は甲仁田山を繋ぎの城と断定するには、この二子山が繋ぎの城でなくては成立しないという事になってしまいそうだ。
そうなったら是非この二子山を登ってみるか!と行ってみる。
標高はそんな変わらないのでまた麓から登るなんて事が無い分だけ行くのが楽だ。


二子山尾根より振り返る甲仁田山

二子山へ行く途中で後ろを振り返ってみると、頂上とだいたい同じぐらいの高さより望む事ができた。今思えば遺構が平場しかないというのは、その位ココが侵略される心配が少なかったからであろう。確かにあの斜面を登ってくるだけでも大変困難である。そういった意味もあって「自然の地形」を大いに生かした場所であると納得。


平場?平場なのか!?

山頂に着くと、おお!!平場だ(なんかこのパターンばかり・・・)



平場は三角形をしている

山の形が上から見ると切り口が三角形をしているようだ。
三方に尾根が延びていて、東に甲仁田山、南に焼山と武川岳、北に二子山雌岳がある。



最高地点

北側が一段高くなっていて、まるで櫓台のような趣を感じる。


二子山標識

三角点もあり、ここが二子山の最高地点である事を示している。



櫓台と思われる最高地点より平場を見る

それにしても広い。尾根には堀切などは無いが、ここまで切り立っていれば必要なかったと言ってもおかしくない。
ココを掘って埋蔵品がでれば確実になるが・・・今は妄想で楽しむしかない。


二子山より秩父市街を見る

その平場から西をみれば秩父盆地を手に取るように見渡す事ができた。
横瀬町を代表する根小屋城や古御嶽城はこの山の麓にある。
この城がせめて古御嶽城から見渡せればと思っていたが、むしろ根小屋城からも繋ぎの狼煙が見えそうだ。

この地が北条氏流のつなぎの城であれば、

●根小屋城→●古御嶽城→●二子山→●甲仁田山→●正丸峠

という形式で敵侵入の知らせを伝える事ができそうだ。そう言った意味合いもあってこの山はとっても重要視された可能性がある。
(本当に城館として利用されていればの話だが・・・)


城館以外の感想として埼玉県内にあるもう一つの二子山もここから望める事にびっくり。ただ、こちらとあっちの二子山では登山のレベルがだいぶ違う。



二子山(雌岳)

では折角きたのだからもう一つの山も登ってみたくなり、北側にある雌岳も登る事にした。


天然の堀切

素晴らしい、これぞ自然の作り出した天然の堀切だ。二子山と一つにされているが、実は一城別郭の作りになっていたりして・・・と甘い妄想にふける。


二子山雌岳山頂

おお!!またもや平場だ(今回このパターンばかりでした)
先ほどの雄岳に比べて狭いものの出城のような役割を果たしていたのではと思ってしまう。


雌岳の標識

道案内板に芦ヶ久保駅への所要時間と方向を示してくれている。
・・・結構距離がありそうだ。



謎の石造物

城館に石造物は多かれど、この石を積むというのはどういう意味があるのかさっぱり分からなかったりする(汗
なにやら特殊な意味がありそうだが・・・


さて、来た道を戻ることもできるが、このまま芦ヶ久保駅にどうたどり着くのか行って見たくなったので行く事にした。現時点では午前10時半でまだ日も高い。下りてみよう。

と、下り始めたら急に傾斜が付いた。これが天然の要害をなしていると改めて納得。備え付けのロープを利用させていただき、下っていく。



案内はしっかりされている

所々が案内されているのでよほど道無し道を歩かない限りは迷う事がない。
ただ途中で沢道に出るので少し歩きづらいが、藪を漕ぎ分けて進むに比べたら涼風の如し。


兵の沢の橋

段々と水無き沢も水を湛えて流れるようになってきた。結構麓も近くなってきただろう。
・・・とその近くの標識を見た!!


兵の沢案内板

兵の沢!?
なにやら城館関係の臭いのする名前だが・・・真相は不明。確かに地図を見て見ると「兵の沢」と明記されていた。これは気付かなかったが、名前の由来もあるだろうから、また来なくてはならなくなってしまった。
推測ではあるが、近くに浅間神社というのがあるので、今度調査してみるのも手かも知れぬのう。

かくして沢道を通り、芦ヶ久保駅に辿りついた。最近は道の駅ができて賑やかになっているが、車を山の向こうに置いてきぼりしてきたので早々に帰る事にする。
・・・その前に腹が空いたので持参したおにぎりをここで食べてから国道299号線を正丸トンネル方面へ。

車を駐車した場所に辿りついたのは午後1時近く。ああ、6時間も山歩きするとは思いもよらなかったり。
なにやら白地図が欲しくなってきたので横瀬町役場へ訪れる事にした。





役場で白地図を扱っているのが建設課らしい。そういえば甲仁田山の一件がこの課で尋ねられたと思ったので、早速質問する。
その結果車では通行不可だが、徒歩なら通行できるという。車に戻り1000円の白地図を見直し今まで来たルートの見直しをする。

そういえば今日は月曜日だから図書館の類は休館日になっている可能性が高い。ならどんどん城館疑惑のある地を訪ね歩くのみである。




正丸峠

正面右が正丸山・左が川越山、その左隣の峠が旧正丸峠

そろそろ時間も迫ってきたので次に行こう。
それで来たのは正丸峠。国道299号線に正丸トンネルが開通して以来、観光客以外はあまり訪れる事が無くなった場所である。本日は平日という事もあって山の調査をゆっくりできるのではと期待するものなり。



曲輪か?

正丸峠に車を置いて直ぐに遺構に見えてしまう場所を発見。
あくまでもテーブルを置くスペース確保で削平したものと思い込み先に進む。
段々と傾斜がきつくなってきて、とうとう階段になった。
この辺りの山は山頂に近づくにつれてきつくなっていくのだな。


正丸山山頂

階段も登り切り、ようやく山頂に辿りついた。


正丸山案内板

正丸山を示す案内板。ちっと一息つく。


正丸山より見る甲仁田山と二子山

西側には今日登って来た山を見る事ができた。今日は本当にこんな山に登ってきたのか?と我が身を疑う気持ちになってしまうが、事実である。

これだけ眺望が効くのであれば繋ぎの城である可能性がより高まってくる。


北側にある謎の岩

北に進むといきなり岩がゴロゴロと置いてある場所に着いた。
若干広い場所に岩がかたまって置いてあるので、防衛施設とは明らかに違う。それにしてもよくこれだけかたまっておいてあるものだ。


中間にある尾根

登る時と比べて妙に緩やかな尾根が続く。
ここも緩やか過ぎて曲輪なのではと疑ってしまうほど。


川越山の山頂

北側の山の山頂に到着。ここも正丸山の一部なのかしらん?



川越山の案内板

と思ったら「川越山」というらしい。同じ県内に川越市があるだけにどうして?なんて疑問に思ったり。


北側の傾斜もまた厳しい

そのまま旧正丸峠に向おうかと思ったが、思ったより急な下りになっていた。これなら確かに堀切などの防衛施設はそんな必要ないなと納得。もちろん尾根以外の場所は急斜面の絶壁で登ることはできない。

折角だから旧正丸峠も見に行こう。


正丸トンネルの真上付近

ふと稜線沿いを見て見ると静かな自然がそこにはあった。
この地下に国道やら鉄道などの主要交通機関が走っているなんてウソのように思えてくる。




急な下りを下りてくると・・・
また平場か?

うん?またも平場か?このパターンだらけなので今一度確認してみる事にした。


旧正丸峠の曲輪1

そこは傾斜を削って平たくしてあり、中世城館であれば明らかに曲輪に該当する部分である。しかし、峠道に曲輪がある理由は?


旧正丸峠の曲輪2

少し下には二等辺三角形の形をした曲輪が存在していた。
最初の曲輪が独立しているのに対し、こちらは一部峠道に隣接した形に作られていた。


旧正丸峠の案内板

改めて案内板を見る。



峠道を上の方から見たところ

地形を見ると自然の地形より更に4m程掘ったような感じがする。峠が緩やかだったので切れ込みを入れて柵を立てて検問などをしていたのだろうか?



旧正丸峠を秩父側から見る。飯能市の方は木が生い茂っている

たまたま寄り道しただけの旧正丸峠だったが、まさか曲輪があるとは思わなかった。こうなってくると旧正丸峠がいつまで使用されていたのかによってもこの平場の使い方が変わってくるだろう。仮に江戸期に入った時の物であったとしても、関所という形で使用されていたのは容易に想像付く。
峠の平場は通る人の少なくなった峠道に寄り添うようにひっそりとたたずんでいるのであった。






こうして周ってみたが思ったより平場が多いのには驚いた。自然の地形とは明らかに異なっているので、いつの時代からか物見の砦などに使われていた可能性もまったく無いとは言えないだろう。
答えは土の中に眠っているのかもしれない。

って事で今日はたっぷり山登りの方を堪能させていただきました。
ごちそうさま!
コメント

お疲れ様でした。

比高差約400メートルはあろうかという「久松平」から二子山、そして正丸峠へ。
こうなると「城館探訪」+「体力増強ハイキング」の観も。

戦国時代の永禄年間、後北条氏と武田氏、上杉氏の局地紛争地帯と考えられていますので、大変興味深く拝見いたしました。

「平場」の判断は難しいですね。
元来の自然地形なのか、人為的なものなのか、未だによく分からない時があります。

本日は当方も恒例の滑川地方沼池めぐりに行ってまいりました。
尤も家を出発したのは午前10時でしたが。
最近体力の低下現象が顕著となり、行動時間は5時間が限度のようです(汗)

早朝よりの城館探訪、お疲れ様でした。

すごい!!!

お疲れ様です。興味深く拝見。
もはや山登りの技量と体力を要するものと思われ、相変わらずのパワーに恐れ入ります。私は無理だなあ(苦笑)
繋ぎの状況が良く分かりました。

しかし、このような山間部を戦国大名がなぜ争って警戒したのか・・・秩父氏が土着した魅力的な土地だったからでしょうか・・・なんて。

和平様、ありがとうございます。

最初の甲仁田山がきつかっただけで、後は尾根沿いに進むか、途中まで車を使って行くなりしたのでそんな大変ではありませんでした。

また、その後ネット検索をしたら二子山にはこんな由来が・・・

 「ふたごやま 二子山(横瀬村) 物見平ともいう。秩父郡横瀬村の中央部にある山。標高八八三m。県立武甲自然公園のうち。
 山頂は山名が示すごとく極めて顕著な双耳峰をなし、南峰が高 く三角点や展望台がある。戦国期、鉢形城主北条氏邦が甲斐の武田勢に備えてこの山の西方に根古屋城を築城したとき、見張りの櫓を置いたので物見平の別名がある。雄岳・雌岳と別称することもある」
    角川日本地名大辞典 埼玉県
                                 
 「ふたごやま 二子山(物見平) 埼玉県秩父郡横瀬村。西武秩父線芦ヶ久保駅の南一km。八八三m。雄岳と雌岳の双耳峰よりなる。北の山腹に仙現神社がある。戦国時代に北条氏邦がこの山頂に見張りの櫓を置いたので物見平ともいう。生川をはさんで武甲山と対する」
    コンサイス日本山名辞典


前々から秩父と河越方面との繋ぎは無いのはおかしいと思い調べてみたらやっぱりあったという感じでした。ただ、正丸峠より先は越生を通ったか?飯能方面を通ったか?非常に気になる所です。
既に越生を通るルートは奥武蔵グリーンライン沿いに謎の平場を発見しており、ここが丁度今回行った正丸山を見る事が出来る位置にあります。ですから私の想像する越生を通る繋ぎのルートは・・・

正丸山→飯盛山付近の平場→羽賀山→三枝庵→越生の各城館

・・・と思いますが、越生より先はどのルートを通るのか?これも謎であったりします。もしかすると北条氏に前から付いていた毛呂氏の領土を経由して河越城まで繋いだ可能性も考えられます。
いずれにしてもまだまだこの辺りの山を登ったりして調査する必要がありそうです。

滑川の湖沼めぐりもお疲れ様でした。のちほど楽しく読ませていただきます。

左馬助様もありがとうございます。

多少の山なら「城館跡があるかも?」ってだけでどんどん登ってしまう癖が出来てしまいました(笑
結構「そこには遺構がない」と言われても実際に自分の目で見て見ないと本当に無いという体質になってしまったのかも知れません。あえて言えばみんなそういう気持ちで各地を踏査されれば、今よりちょっとは未発見の城館も出てくるのではないかと思います。

秩父も山奥とは言え武蔵国の一つです。関東に覇を唱えた北条氏は領民を外敵より守るという自国の誇りの為に戦ったようにも感じられます。(言うなら領土となったからには山奥でも敵から守るという北条氏の姿勢を示したのではないかと思いますが・・・あくまで想像でございます)

毎度ご覧いただきありがとうございます。

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