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DATE: CATEGORY:城館探訪
今日は休みでさしたる雨も降らないという事で、城館探訪に行く事にした・・・のだが、銀行関係の用事が入ったり、忘れ物をしたりとなかなか出発できないで結局お昼近くになって出発する事になった。進路は今は消え去った児玉町周辺の城館めぐり。
出かける直前に家族にこの行き先を教えたら、野菜の買い物を頼まれてしまったり。折角だから買い物も行くという事で双方合意でいざ児玉郡へ。


宿谷氏館を北より見る。

宿谷氏館
某城館サイトで「宿谷氏の館跡が発見される!」という情報を得てからずっと行きたかったので、途中寄り道して行く。
場所は毛呂山町葛貫の毛呂山総合公園の近くの民家裏。真北には大谷木川の支流と思われる川(名称まで調査しておらず)が作り出した斜面がより防御性を高めている。
それにしても駐車場所には困った。ので毛呂山運動公園に僅かな時間ながら駐車させていただいた。

大谷木川の支流がきつい傾斜を作っている。

折角だから遺構を見ようか考えたが、藪が凄そうなので今回はパス。
また冬にでも来たいものだ。


そのまま車を北に向け、小川町を経由して国道254号(国道東京松本線なんて名称もあったらしい)を北へ向けて走る。
途中で買い物の目的地に着き、買い物開始、キャベツ3玉と玉ねぎ、トマトと買っていき、また北を目指す。


白石城の残骸というべき姿・・・

白石城
急に美里町にある白石城を見たくなったので立ち寄る。今回で3年半ぶり2度目の訪問となる。最初北にある羽黒山公園を遺構と勘違いしていたのがいい思い出だ。個人的にはこっちの公園に城を築いた方が良さそうに思えるが、当時の事情というのがあるのであろうのう。
採石事業も今は休止しているらしく、その敷地は職業センターなる建物がある。
なんか他の三里町の城館が見たくなってきたので、ここから進路を東に転換する。


美里町史による甘粕城跡

甘粕城
関越自動車道寄居パーキングエリア近くに美里町甘粕という地域がある。美里町史によればこの県道31号線と天神川が交わる(橋のある)所付近に「堀の内」という地名がある事から、当地を「甘粕城」所在地としている。更に現地は高圧鉄塔も建っているのである意味分かり易い場所ではあるかもしれない。


甘粕城にあるとされる半円形の堀とはこれだろうか?

川のほとりは数件の住宅地と農地があるのみ。かっての水堀とされる水路があった。これが美里町史に載っていた半円形の水堀であろうか?
こんな事でじっくり眺めていたら、ご近所のご婦人が話しかけてくださった。さぞかしこんな所に人が居るのが珍しかったらしく話かけられたとの事。確かに家族が居るとは言え、日中は一人で留守番とは退屈されるであろうのう。そんな事で世間話を30分程して現地を去る。日差しが若干弱いとは言え脱水症状になりかねないので、ご注意される様に促してしまった。余計なお世話だっただろうか?


埼玉の中世城館跡にある甘粕城跡、はっきり言って駅そのものである。

さて、こちらは変わって「埼玉の中世城館跡」に掲載されていた甘粕城跡。現在JR八高線の松久駅があり、単なる駅の遠望を撮影しただけになってしまったり。周囲を見渡したがその無人駅に城館の遺構を発見する事は叶わなかった。


古郡氏館跡遠望・・・か、ちょっと不安。

古郡氏館
松久駅より本庄市方面に600m進むと丹党古郡入道時員の流れをくむ一族が住んだと伝わる地がある。場所も美里町役場の北側の集落の一部で、場所自体は見つけやすい所にあると思われる。


古郡氏館の物と思われる土塁が民家の裏庭にひっそりとある。

遺構は無いかと探しまわっていたら・・・あった。垣根からひっそりとたたずむ土塁がその姿を現した。実にありがたや。


これも水堀の名残か?

北側の市道の傍らに水堀と思われる水路が今も流れていた。この水路の南側(内側)は若干高くなっている事から館跡はこれより南に広がっていたと想像するが・・・はていかに?

後に美里町史通年編を見たところ、「館の北側と思える土塁が今も残っている」と掲載されている事から、美里町の指す古郡氏館の遺構とは異なる可能性も出てきた。うーん、謎だ。


木部氏館遠望

木部氏館
ここも松久駅より程近かったのでそのまま徒歩で向かった。松久駅を出て西に歩いていくと「関流算術の碑」という史跡がある。その前を通過して最初に遭遇する住宅街が木部氏館の跡とされる場所である。

そもそも木部氏とは、猪俣党の猪俣家兼の子行兼が当地に住み木部次郎行兼と称してから始まったとされる。駅から近い事もあって自動車を使えない城館探訪者には嬉しい立地かも知れぬのう。


木部氏館の土塁がこの垣根の向こうに残されている。

行き止まりと思える道を進んで見ると、民家の垣根より土の高まりが見えた。「おお!!土塁!!」と大喜び。大喜びしたのはいいが、住宅の飼い犬に見つかり吼えられまくってしまったり。
別に繋がっていて自由も無い犬に吼えられても全然驚きもしなくなってしまったのは城館探訪をして見につけた耐性だろうか?しかし、あまり長居しても何が起こるか分からないので早々に退散することになった。

木部氏館の東側、この水路も水堀の役割を果たしていたのであろうか・・・。

東側に戻ると市道の傍らに割りと大きい水路がその姿を現した。当時でもこの規模であったなら充分水堀としての役割は果たせたはずである。


関流算術の碑

参考のまでに関流算術の碑の写真を撮ってみた。これを最初見たときには木部氏の遺構についての解説板かと心躍らせてしまったのう。


新堀屋敷(長者面)の遠望

新堀屋敷(長者面)
JR八高線をそのまま児玉方面へ行くと土豪の屋敷跡とされる「新堀屋敷」跡がある。美里中学校を真西に向かって800m位のところであろうか。駒衣の赤尾と呼ばれる辺りがその遺構だったという。
美里町史によれば当地は有力な馬牧がこの地にあったのではと推定している。

新堀屋敷周辺より山を望む。

今でこそ水田地帯であるが、今でも牧だったような風景が残っていた。自由に駆ける馬の姿を水田に求めてみるのであった。


広木吉原城遠景

広木吉原城
「広木城」とは二つあるようで、一つは「甲陽軍鑑」や「諸国廃城考」に載っている「広木大仏(おさらぎ)城」があり、もう一つは「新編武蔵風土記稿」が一色大興寺入道源範行が城主としているこの「広木吉原城」がある。

大興寺の正面

広木にある大興寺、この北に吉原という地名が残っているらしい。早速その寺を目指し、周囲を見てみると・・・

広木吉原城に広がる素敵な藪

素晴らしいばかりの草薮が辺りを覆っておった。さすがにこれだけ茂っていると何処で足を踏み外すかマムシに噛まれるか分からないので今回はパス。


御所内館の遠望

御所内館
さて、上の広木吉原城の直ぐ真北には御所内館という遺構があるらしい。ここに関しては詳しくは調べていないので詳しくは分かっていないが、城館があるらしいという情報があるのなら黙っていられないという事で早速探訪。


御所内館跡と思われる平場に生える竹

県道が近くを通っているのでわりと楽に行くことができた。ご丁寧に竹が伐採されていて遺構らしいところの視界は良好。平場が幾つか存在していたのだが、かなり面積は狭い。屋敷一軒建つのも疑問に思えるぐらいに狭い平場なので微妙なり。
足元から筍が生え始めていて、間違って筍泥棒と勘違いされるのを恐れて足早に撤収。


篠城と思われた諏訪神社遠望

篠城
ここから名称が消滅してしまった児玉町に入り、前々から調査してみたかった篠城に向かう。
雉ヶ岡城周辺より国道462号線を西に向かって行くと塩谷という地名がある。そこに諏訪神社が建っている台地があり、そこのどこかだと思い行ってみたが・・・

諏訪神社周辺の様子

草むらが広がっていたりするだけだった。
しかしながら諏訪神社は背後の陸続きに堀切さえ作ればかなり堅牢な城に成り得る場所にあった。ここを城と断定できない理由は堀切の存在が見当たらないからであろうか。

篠城跡推定地その2

「埼玉の中世城館跡」はこの写真の辺りを指している。
確かに女堀川が周囲を蛇行しながら流れているので堀切を作る事で防御施設は作れるのだが、先ほどの諏訪神社とは近距離で高い台である分見下ろされてしまう。やはりこの地を篠城のあった場所と思うのはためらいがあった。

塩谷の篠地区、もしやこの辺りに篠城が?

再び地図を見てみると塩谷の山寄りの方に篠という地名があるではないか。尾根上で尚且つ地名も篠とくればこちらに篠城がありそうな可能性は非常に高まる。
早速その該当地区に足を踏み入れてみた。民家が数件軒を連ねていた。道路を挟んで向いはその地名の通り竹林が丘を覆うように生えていた。車を近くに停めて石で作った階段を登ってみた。そこには江戸時代末期頃から明治にかけて頃そうな墓が建っていた。よくこういう墓の立て方はあるので篠城への繋がるようには思えない、それからその周辺を歩いてみたが、農地がある程度で城館のありそうな感じではなかった。
やはり篠城は幻の城なのか?興味が高まる。


河内館推定地

河内館
旧児玉町の奥には河内館という場所があるらしいのでそこも足を運んだ。しかし、なかなかたどり着かず道はどんどん狭くなってくる・・・「おかしい」と思い地図を見直してみたら道を間違えた。
今度こそ県道秩父児玉線に入り、皆野方面に車を走らせる・・・
あれ?なかなか着かないと思って地図を見直してみると、今度は通りすぎてしまっていた。
今度は慎重にとカーブの回数を数えながら車を走らせてようやく河内館のあったとされる場所に到着した。旧道があったので車をその道端に停めて辺りを見渡す。小山川が作り出す渓谷にあり、開拓してもさして耕地にはできる場所とは思えなかった。目の前には蕎麦畑と思われる場所があり、風情は良かった。

なかなか立派な母屋

そんな中、ひときわ立派なお屋敷を発見。これを河内館を思い、この地を立ち去る事にした。


池田館の土塁遠望

池田館
神川町池田には中世の屋敷跡があるらしいという事なので、足を運んでみた。現地へは「池田公園」の案内板に従って行くと見えてくる。
付近をウロウロ動いていたら不思議に思った近所のご婦人が話しかけてきて下さった。手前の城館探訪を説明すると、なんと現館主様を紹介するという。おお、なんともありがたい。そんな事で館主様のお屋敷に入り彼女の引き合わせにより館主様に対面する事ができた。そうしたら館主様は怒涛の如く話をされ始めた。戦争中の事、高級鎧の事、目の前の神社の檀家の事・・・かれこれ1時間程話を伺う事ができた。ありがたい事だ。
肝心の遺構については構造がイビツな凸形が南を向いた形で作られている事、今の季節だと藪が凄すぎて見ることは無理という事でさりげなく土塁と言われる場所を撮影したり。

・・・暗くなったので最後に中新里城を見て終わりにしようと思い神川町の中心部に向かった。おお!民家の合間に怪しげな土塁があるっと遺構の撮影開始。かと思ったら遺構らしい土塁を撮影したデータが無かった・・・やはりカメラは壊れたのであろうか・・・。


それで家に着いたのは夜9時前。明日は仕事だから早めに寝ないとのう。



コメント

すごいです!

1日だけで、これだけ訪問ですか!恐れ入りました。
恥ずかしながら、手元の資料を見ないで分かる城館跡は宿谷氏館だけですが(苦笑)

今度は、儀一さんが攻めた城跡も調べてみるとしますか。
調べるといえば、坂戸市の城館、数が多いですね。今、調べるか調べるのを止めるか、考え中です。

毎度ありがとうございまする

手前も資料を見ながら行っておりますゆえ、そう凄い事ではありませぬ。図書館などで資料を集めて行く城館はまた格別な味わいがありますゆえ、出来るだけ資料や情報を集めてから行くようにしておりまする。

坂戸市内でも圏央道建設予定地沿いはかなり破壊が進行する恐れがありますゆえ、先に見ておきたい所ではありますのう。失われる前に是非ご覧になられる事をお薦め致しまする。

美里・児玉方おつかれさま

塚越です。
相変わらず僅か1日で11ヶ所とは恐れ入りました。
自分などは4ヶ所くらいが限度です。

白石城の残されている丘陵の中はご覧になりましたか。
意味不明の溝や段築が残されていました。
採掘関係のものかもしれませんが。

古郡館は西側に長さ100m、高さ2mくらいの土塁が現存していたと思います。季節を変えて訪れるとまた格別かと思われます。

なお、当方の掲示板の操作にどうも誤りがあったようでたいへん失礼をいたしました。
では、また。

和平殿、度々のご来館ありがとうございまする。

手前の訪問は和平殿の訪問に比べて綿密に調査をしないがゆえに訪問数を増やす事ができるのでございます。また手前自信の訪問記録を書いているような物なので、他の閲覧されてる方々には参考にならないと思われます。それでもココを見て下さる方々の訪問の参考程度になればと思い書いておったりしまする。やはり城館にもチラシに描いてあるような地図が欲しい所ですのう。

白石城については初回に遺構を回らせていただきまして、たしかに堀か?と思えるような窪地があったのは記憶しておりまする。ここも横瀬根古屋城や古寺砦同様に採石で本曲輪が喪失しておりますので悲しくなります。

和平殿の古郡氏館を閲覧いたしましたら、どうやら同じ場所を行ったようでありますな。確かに冬と夏では同じ城館も違った趣を感じさせてくれまするが、また2度目であったりすると違った発見もできたりしますな。

掲示板に書いた内容が消えた事は別に気にしておりませぬゆえ、ご安心くださりますよう。
体調悪い最中もお越し下さり誠にありがとうございまする。

こんにちは

本日、若葉へ遊びに行ったついでに毛呂山町歴史民俗資料館に寄りました。
正面右奥の、アンケートコーナーに「毛呂山町文化財マップ」無料があり、榎堂の紹介がありました。毛呂氏当初の屋敷跡にある榎だそうです。今度探してみようと思います。

貴重な情報をありがとうございます。

毛呂山町は名門毛呂氏ゆかりの地だけに歴史に力を入れていて嬉しい限りですね。
あの無料マップに榎堂が掲載されていまいたか!貰ったはいいのですがあんまり読んでなかったので気付きませんでした(汗
今文化財マップを確認してみました所、県道堂沿いの場所ですね。確かにあの辺りは巨木があったような趣を感じさせる場所がありますね。手前も訪問してみねば。

またのご訪問お待ちしておりまする。

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