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DATE: CATEGORY:城館探訪
今日は埼玉県東部にお住まいの友人に会うべく車を走らせ行く。
だが、午前中に色々と用事が重なり結局出発が11時になってしまったという。もうちょっと早ければともっと多くの城館が見れたのにと悔やむばかり。

埼玉県はJR高崎線と宇都宮線沿いは住宅密集地帯となっていて、これらの都市を通過するのには渋滞に巻き込まれるのが常である。渋滞に巻き込まれていく内に約束の時間に着けるか心配になってきたが・・・何気に1時間程のゆとりができた。これは僥倖と城館探訪に出動する。

諏訪山館遠望、遺構が若干見たらないので微妙なり。

諏訪山館
白岡町の東側、爪田ヶ谷地区にあったとされる館跡、詳細はいつもの如く調べが足りず分からず。世間様には「東武動物公園の西ゲート側」と言った方が通りがいいかも知れない。近くには姫宮落川が流れており、土豪クラスの武士が住んでいた可能性が高い。

諏訪神社の境内、特に遺構は見当たらず・・・

現地は諏訪神社境内となっており、そこから「諏訪山」という名称が付いたのであろう。直ぐ真後ろは動物公園敷地らしくフェンスがあり、調べる術が無かった。

諏訪山館の井戸跡?

っと歩き回って驚き、乗馬場近くになんと井戸跡らしき池がある。
コレに似た井戸跡が群馬の金山城にもあった、戦勝祈願をする神聖な場所として作られていたが、ここのこの池はなんの為に作られたのか?真相分からず。
その後、誤って未舗装の道路を通ってしまい、車は泥まみれ・・・何気に臭う・・・人と会う前なのにまずいな・・・。


丸山城があったらしき場所、現在は鷲宮神社になっている。

丸山城
諏訪山館より南下すると岡泉という地区がある、岡泉という交差点より西に移動すると鷲宮神社という巨木のある神社がある。その辺りが丸山城であったらしい。
出典が「埼玉の中世城館跡」なので場所だけは記入していながら由来などは調べて居らず・・・でもそれなりの雰囲気が漂う。

岡泉近くの鷲宮神社境内にはなんとも哀愁漂う土塁がある・・・いいなあ。

おお、神社東側の辺りに土塁らしき土の高まりを発見。コレを見る限りは神社境内が丸山城の曲輪跡であるとぼんやり妄想・・・この土の無くなり具合が中世頃の土塁を思わせる・・・かも。

神社境内にある巨木、鳥居と比べてみれば大きさが一目両全。

それにしても大きな木だ、下の方には枝が無いから登るのも容易でないな。神社に生えているから神木とも言えるかも知れぬのう。


約束の時間に近づいてきたので移動、お誕生日が近いので大好きな日本酒を買って会う。ふむ、お元気そうで何よりだ。忙しい中を時間割いてあってくれたようだ。ありがとう!


石川氏屋敷遠景、いい感じに森になっとります。

石川氏屋敷
何気にココが気になったので来て見た。ここは「日本城郭大系5巻」にも僅かながら掲載されており。それによれば松伏町の石川民部の分家の屋敷という事になっている。場所は旧昭和町の庄和郵便局より北に少々行ったところの森である。
この辺りは大河に挟まれていたりしており、地形的に平坦になっているが・・・遺構は残っているのか?

おお、これは水堀と見ていいのか?でも民家の庭先っぽかったので早々に退場

恐る恐る民家の中か否かを見ながら進む。もし民家だったら平謝りしかないのだが。
そんなこんなで、ふと横をみると・・・おお!これは水堀か!?これ以上中に入ると民家の敷地内になりそうだったので、早々に立ち去る。
なお、赤線を引いた内側が堀跡と思えし場所。

屋敷の北側にはしっかりと水堀が残っていた。うーん、幸せ。

ぐるっと農道を回って遺構の北側に、おお、これはしっかりとした水堀そのもの。うーん、これを見ただけで嬉しくなってきた。
天気も若干悪くなり始めているので次に急ぐ。


西宝珠花陣屋遠景。って殆ど住宅地の遠景になっている、空が広く感じる場所でもある。

宝珠花陣屋
旧庄和町の凧揚げの会場で知られる場所の直ぐ近く。田園風景の爽やかな景色の向こうにはかっての陣屋があったという。

住宅地内でコレだけの比高差がある事を考えると遺構に住民が移り住んだと考えるのが自然か。

少しでも遺構が残っていればと思って来た手前が甘かったのが、現実となって分かってくる。遺構は住宅地と田畑になっており、発見が難しくなっていた。ただ、写真の高まりが畑の中にあった。
この辺りは昔から洪水が多かったであろうから、こういう微高地であっても大変重宝したであろう。最初は領主の陣城であったが、それ以後洪水から身を守るべく、周辺住民が陣屋跡に移り住んだのであろう。
ともあれ、これがただ残された遺構と自分に納得させて立ち去る事にした。



それから杉戸町の才羽というところが非常に不思議な地形をしているのである。丘があるわけでもないのに県道や河川がまるで円を描くように避けて通っているのである。気になってきたので現地に行く事にした。

前に一度だけ来た事があったがただの水田だと思ってそのままにしていた。周辺を回ってみると北側の集落に混じって「排水場」があった。
傍らには立派な石碑があり、この地の水害をいかに住民が克服したかなどが書かれていた。
その辺りから考えるとこの不自然な地形は洪水時に防災用の貯水湖として利用されていた名残なのであろう。今は排水処理施設に役を譲り、静かな田園風景を見せてくれるに至っている。


それから先ほど城館めぐりした場所に近い宮代町を探訪する事にした。噂では宮代町の民俗資料館が城館跡であるという噂があるのである。

中学生達が団体さんで帰宅する時間、宮代町の民俗資料館を訪れた。もちろん宮代町の城館の情報を入手するためである。入館料は無料で、庭先には縄文式住居が再現されていた。折角なので内部の展示を拝見し、館内にある宮代町史を手に取り調べ事。
流石に有名な城館が無いためか遺跡名で記入されていたので、分からず館内の職員の方に色々と情報を尋ねる事にした。すると中世頃と思われる遺跡がかなり町内にあるという情報をいただけた。ただ、明確に中世城郭と言える遺構はほぼ無く、板碑の破片が見つかったりする程度であったという。
なれど板碑は中世の情報を伝える重要な遺産である。これを元に更なる中世城郭の知られざる歴史が明かされる事を期待。

何気にコピー不可という重要な資料まで持ち出してくださって教えていただきました。ありがとうございます。今後の宮代町の城館探訪に役立てる事に致します。
なお、郷土資料館では縄文の住居が見つかっただけだったようだ。
(それで庭先に飾ってあったようだ)


宮代町にあったとされる伝服部氏館。ほぼ周辺は開発されて遺構は残っていなかった。

伝服部氏屋敷
宮代町の西原交差点より北に向かい、一つ目の手押しボタン付き信号がある辺りが伝承による服部氏屋敷があったとされる場所らしい。
・・・っが、遺構が見事なまでに無く、先ほどの資料が無ければ絶対分からなかった。南側が若干低くなっており、どの様に屋敷が建っていたのかが気になる。


宮代町の伝服部氏館に隣接する源太(げんた)山。確かに丘の頂上ではあるが・・・遺構の可能性はいかに?

源太山
上の伝服部氏屋敷の道路挟んで北にある丘の名称。ここも中世の城館跡だったのではないかという説がある場所らしい。
しかし、その雰囲気を出しているのはこの僅かに高い丘だけであり、遺構は見つけるに至らなかった。
流石に伝承のみの城館は探訪が難しい。


東粂原遺跡に来た時点で、タイムアウト。大粒の雨が降り出した。
もう外は薄暗くなっていた。またこの遺構を訪ねるその日を心待ちにし、今日は退散することにした。


その後2時間以上もかかりながら帰宅。途中で滝のような大雨があったりと、まるで台風並の大雨に見舞われたという。でも無事帰ってこれたからそれを感謝するといたそう。
コメント

わあw

モロですな。モロw

そう、モロですw

お疲れ様でした

儀一さん今晩は。
午後からは局地的にかなりの大雨のなか、県東部の水田地帯の訪城お疲れ様でした。
何も遺構がないと思って出かけて、予想外に何やらそれらしき存在に遭遇すると楽しくなりますね。
神社周辺の場合には神域としての性格から寺院とは異なり墓地の拡張がないので、都市部を除けばよほどのことがない限り中世の創建時の環境がある程度保たれている事例も少なくないと思われます。
ただし考古学の世界では遺物などが出土しないと年代の推定に繋がらないとされている模様で。
このため現実に遺構らしきものが存在していても近世の地誌などに記載がないと、なかなか正式な遺構としては取り扱われない場合も少なくないとか。
さて、自分も月曜日頃、一応菖蒲町方面の水田風景探訪へ繰り出す所存です。
では、また。

和平殿、こちらにまでコメントありがとうございます。

和平さんのサイトに比べて、幼稚で恥ずかしい日記ではありますが、自分も地域に飲まれそうになっている城館を訪ねている身として人の日記を読むのは大変楽しいので、こうして日記に残しております。

確かに神社になっていると墓地が無い分遺構が良好な状態で残る事が多いですね。また今回の丸山城の様に神社が城館への目印になっている事も少なくありません。ので遺構を残してくれた感謝の意味を込めて神社に参拝し賽銭箱に謝礼金の様に投げ入れていたりします。(といっても10~50円ぐらいですが・・・)

今回訪れた宮代町も明確な遺構は少ないものの、板碑などが発見されている事から結構発掘調査をされているようです。今回は素通りしてしまったのですが、東地区の西光院周辺は板碑が発見されたりしたらしいので、また後日周辺を探索してみたいと考えております。

今回はコメントを残していただき、誠にありがとうございました。
和平さんの菖蒲町探訪も楽しみにしております。

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