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DATE: CATEGORY:城館探訪
折角仕事をお休みさせていただいたので、ちょっと遠出して城郭探訪に行く事にした。幾つか見ていない城郭もあり、期待する。
幸運にも携帯カメラもデジカメモードにした物はPCにも残せるようなので、今回は写真付きで行く事にした。

源範頼館遠景、フェンスのない所から堀がある。

源範頼館武州松山城より東2km程の所にある館跡。
源範頼とは源氏の棟梁義朝の子供の一人で、征夷大将軍となった源頼朝の異母弟である。だが、頼朝が鎌倉に幕府を設立してしばらくして兄頼朝によって殺されてしまった不運の人である。当地も居館という事なのであろうが、詳しい事を調べていないので分からない。範頼の死後はその子孫が定住し、「吉見氏」を名乗ったと新編武蔵風土記稿にある。

源範頼館の空堀、南側は幼稚園造形などで破壊されたようだが、それ以外はしっかり堀があった。

割と浅い堀なれどしっかり残っていて嬉しい。しっかり空堀を堪能させていただいた。ご馳走様です。




御所陣屋跡に建つ横見神社正面口。

御所陣屋
勉強不足の為、誰の陣屋かすら分からず、ただ今は横見神社が建っており、境内には櫓台らしき土盛りや堀などがしっかり残っていた。遺構の全貌は掴みにくいところがあるが、なかなか興味を引かれるものがある。


御所陣屋遠景、周囲より若干台地になっている。

現在でも周囲は田畑になっていて、用水路が水堀代わりに流れている。
しかしながら西に数百mにある丘からは丸見えそうなところがご愛嬌な感じがする。


その後、吉見町の町史でもみようかと図書館に立ち寄ったが、あいにく休館日だった。またの機会に寄って文献を調べてみる事にしよう。



安達館跡、すぐ側には荒川の堤防があるが、江戸時代前までは和田吉野川が側を流れているだけだったのであろう。

安達館
鴻巣市の南西、川向に吉見運動公園を望む糠田の地にあったとされる館跡。周囲は新興住宅地になりつつある場所ではあるが、氷川神社境内にあった様子なので、当地の破壊はしばらくは無いだろう。境内には県指定の杉などの樹木があり、自然な景観を見せていた。

氷川神社境内、両脇には若干の土盛りがある。

境内に入ってみると木々の間から日が差し、いかにも涼しげな様子を見せていた。両脇は少し土盛りがあり、なんとなく土塁を彷彿させるものがある。まだ5月だというのに蚊はもう生息しており、半そででは行けないと思えたりする。
少々草が伸び始めている時期と言う事もあり、さして歩かなかったが、冬場あたりにまた訪れてみたい場所ではある。




箕田館跡に残る古墳。ここより南には遺構があったとされる。


箕田(みた)館
JR北鴻巣駅より鴻巣駅方面に進んだ場所にあった館。古墳群でもあるらしく、現地案内板によれば箕田二号墳と呼ばれるらしい。だが、現地の周囲はもはや住宅地が立ち並び、この古墳のみが当時に近い姿を見せてくれているのみである。

堀のあったところも既に民家が建ち、遺構が再び姿を見せるのははたしてどの位未来なのであろうか?少なくても手前が生きている時にはお目にかかる事は叶わないだろう。


小谷城遠景、って言っても単なる土手を写しているに他ならない。

小谷(こや)城
旧吹上町最南端に位置する小谷地区に、かって小谷城という城館があったという。前々から訪問したいと思っていたので今日訪問できたのは非常に嬉しかった。
とは言え小谷城の遺構はまったくと言って良い程残されていない。現在は荒川堤防内の麦畑になっており、青々とした小麦がその事を知らないでのびのびと育っていた。上の写真も推定値と思われる場所の遠景であるが、ココであるという確かな断言ができない。そういった意味で同じ立場にありながら破壊されても標識のみは残った茨城県古河城は恵まれていると言える(もっとも当時の重要性も全然違ったりするが・・・)

小谷城の城下町と呼ばれる地区の遠景、土手の風がとても心地よい。

荒川堤防上より小谷城の城下町と呼ばれた地区を望む。中央部に怪しげな竹薮があるが、とても足を踏み入れられるものではない。近くで農作業をされていた方に伺ったら個人所有地との事で道路をぐるりと回るだけで留まった。中にはすごいお屋敷がある。


後に知ったが、埼玉県の免許センター敷地も中三谷という謎の遺構があったらしい、でも徹底した破壊ぶりなので撮影しても免許センターの写真のみであろう。(もっとも今日は免許センターは閉まっておったのだが・・・)


種垂城跡地に作られた公園案内板、しっかり「種垂城」と明記されている。

種垂城
鴻巣市を離れ、騎西町へ。騎西はかって私市(きさいち)と呼ばれており、武蔵七党の一つである私市党の本拠でもあった。町内には私市(騎西)城というかっての名城があったが、今は市街地となり、土塁の一部と婦人会館専用天守があるのみである。そんな騎西と鴻巣の間に「中種足」という地名がある。これが今回行った種垂城の後の名である。
城址公園になっているが遺構はほぼ無いに等しい、かすかに八幡社跡がその名残を見せてくれているのみであろうか?


種垂城址公園にある滑り台、明らかに中世城郭の櫓をイメージした造りである。

遺構こそ見当たらないものの、せめて滑り台だけでも櫓台っぽくしようという試みが嬉しい。写真を撮ろうと思ったら遊んでいたお子さんが気を使ってくれて移動してくれた。ありがとう、気遣いの出来る男は出世するよ。

八幡社跡地、若干ではあるが土盛りがある。

同じく城址公園内にある八幡社跡地、若干こんもりと土が盛られており、やや城館っぽいイメージが出される。だが事実上土塁は完全破壊されたと見ていいだろう。今後田畑の発掘調査が期待される。


八幡廓の現状、正直言って言われないとわからないぐらい田園チック。そして交差点。

八幡廓
埼玉県教育委員会が発行した「埼玉の中世城館」に記載されていた城。出自はどこだか不明で、その場所を地図に記入しないと絶対分からないであろうというぐらい普通の田園の交差点である。所在地である川里町史でも目を通せばいくらかの情報は分かるのであろうが、現時点では不明。
日差しはやや強いが心地よい風が熱さを感じさせない。



戸崎城遠景、また田んぼの中の集落写真にしか見えないのがまた良い。

戸崎城
騎西町西部の城、鎌倉時代のものというのでさほどの遺構ではないと思っているが、この辺りは深田が多い事を考えるとなかなか堅牢な城であったと思いを馳せる。

戸崎城の一部であった諏訪神社を遠くから逆光撮影、なんとなく島に見える。

きっと城があった頃は周囲からはこんな感じに見えたかと思い撮影。
水田であぜ道しかなければ、当然攻撃側は侵略ルートが限定されるので迎撃しやすい。水田の足場の悪さは田植えをした人ならわかる通り、足をとられている内に弓矢の餌食となる。
それにしても風が心地よいので写真の諏訪神社まで行き、木陰で一休み。思い切り田園城郭の素晴らしさを堪能させていただいた。


鐘撞山、別名「油井ヶ島城」とも呼ばれる。

鐘撞山
加須市の南端部に油井ヶ島という地名がある。そこにちょこっと山盛りされた場所がある。それが鐘撞山と呼ばれる中世の城郭である。近くの私市城の支城で、上杉謙信の八つ当たりのターゲットにされた哀れな城の一つでもある。上杉軍に攻められ私市城に救援を求めるべく鐘を撞きまくったのが名前の由来になる。しかし、当の私市城も上杉軍に攻められており、単独で勝ち目のない城兵たちは、鎧などを塚に埋めては四散したという。


鐘撞山の堀、現在も水路として生き続けている。

しかし、鐘撞山の周囲はロープで覆われており、内部に侵入することはできなかった。近くで田植えをされていた方に尋ねると昨年あたりにロープが張られたらしい。周囲には不法投棄を警告する看板が設置されており、この城も不法投棄の被害を受けているのがまじまじと感じさせられた。


鐘撞山に関する現地案内板。

あぜ道を進んで見ると傍らには現地案内板があった。
しかし・・・堀の向こう側に案内板があるのが不思議。そういえば坂戸市の多和目城も柵の向こう側に案内板があったから、それと同類と見るべきか?田植えの時期にさしかかっており、やや堀も水気を含んでぬかるんでいた。ジャンプしてみてきたのはいいが靴が泥まみれになった。無念。

なお、当地の看板によれば土地所有者が今から約2年前に市に土地を寄進した旨が書いてあった。はたして加須市がこの遺構をどう料理するのか?良き方向に向かう事を期待する。


ここで携帯の電源が切れてしまい、撮影不可能になってしまった。
すでに時間も5時になり、日も傾き始めている。車に乗り、次なる目的地に向かう。


加納城
桶川市北部、県道川越栗橋線沿いに「城跡団地」というまんまの団地がある。そこが詳細は知れないが中世の城郭があったとされる加納城である。
実は今から4年前に訪問した事があったのだが、当時はまだ城館を見る目が今程養われておらず、団地中央の小さな公園にある加納城案内板で満足していた。しかしその後の情報により団地の周囲にはまだ遺構が残されているという話を伺い。早速当地に向かった。

夕暮れ時、子供の日という事もあって団地には家族サービスするお父さんの姿も見受けられた。早速団地の調査を開始する。北側には確かに堀跡と思われる謎の空間があり、窪地を経た向こうの丘には若干の堀らしき跡があった。
建っている家も見てみると完全に平坦地になったわけではなく、若干土の高まりが見受けられた、これも土塁の跡だったのだろうと自己判断。
しかし、肝心の加納城石碑なのだが・・・あの場所は個人の所有地としか思えない場所にあるのが気になる。

最後に桶川市が誇る三ツ木城周辺に造られた城山公園にて散歩して終わる。それにしても城内に無いのに城山公園・・・なかなか謎めいたネーミング。


今日はたらふく城館探訪を楽しませてもらって本当に良かった。
やはり手前は名の知れない城館を訪ねるのが好きなのが、今日改めて分かった。また近い内に田園城郭を訪ねたいものよのう。
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