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DATE: CATEGORY:日記、その他
必要最低限の用事でのみ外出し、じっくり睡眠を取る。

労働時間が長引いた事もあるが、夏の疲れも溜まってきているようで、ゆっくり寝れた。

最近、サイトの更新作業をやっていないが、そろそろ「城館所在地図」の作成ぐらいはやりたいものだ。
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DATE: CATEGORY:勉強・挑戦
本日は学生時代からの我が友人N氏に誘われ、鴨の撮影に行く事になった。

その鴨とは・・・
鴨の一部
ずばりこれである。
昔はその辺りに結構走っていたはずなのだが、自動車の普及に追いやられ現在では一部幹線しか見られない。

今回のブログは城館関連から外れて、この鴨を追うのである。
なお、今回掲載する写真は恐ろしいほどに傾斜がかかってしまったが、お見苦しい点に関しては予めお詫び申し上げる所存。

では本編へ
   ↓

◆Read More◆ »

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DATE: CATEGORY:城館マガイ地巡り
本日も大変お日柄が良かったので、また水田地帯の調査に。
今回の場所は基本的に城館跡まがい地になるので、微妙な按配に・・・。

●中手城
埼玉県南埼玉郡菖蒲町大字上大崎に「中手城」と呼ばれる小字があり、猛烈に気になり訪問。
ただ、どの辺りか分からないので、菖蒲町役場を訪れたが具体的な位置がわからなかった。
しかたなく途中の農業センターに足を運び聞き込みしてみた所、
事務所が所有する地図に具体的な場所が書かれており、車にて移動す。

菖蒲町上大崎の大崎神社
どうやらここ大崎神社付近が「中手城」と呼ばれる小字であるらしい。
早速周辺を歩いてみると・・・

大崎神社の土盛
こんな地形も気になる所、しかも隣りの水田辺りに水路が流れているのも好ポイント。

金剛院隣の社
大崎神社境内の池にはお社があり、何かを祭っているようだ。
ゼンリン社の地図を見ても特徴的な弁天池風で、なんとなく印象に残る。

・・・なお同地内に「手城橋」という橋を見つけたので行ってみたが。
圏央道建設により破壊された「手城橋」
どうやら圏央道の建設地だったらしく、旧橋は壊された様子。
今随分と幅の広い橋をかけるようだが、これが同じ名前になるのかは不明。


●大蔵氏館
同菖蒲町大字三箇には小字で「大蔵」があり、ここが野与党大蔵氏の居住した地ではないかという説がある。
同大蔵氏の居住地を比企郡大蔵村(現在の比企郡嵐山町大蔵)と書く資料が大半で、この三箇地区を指す資料は乏しい。
個人的にこの三箇に大蔵氏が居たと思える条件として、野与党がこの周辺に密集しており、当地に所領を得ていた方が自然に思えるからである。
そんな事で早速現地を訪れてみた。

大字三箇字大蔵の様子
流石に館跡を思わせるような地形が乏しい。
遺構の規模は当時の武士の勢いに比例すると思われるため、早くにこの地を去ったのか?
一通り回ってみたが、それなりの収穫は得られなかった。

三箇地区内の気になる地形
少し離れたところに明昌寺という寺が国道122号線沿い釜屋前バス停付近にあり、
この周辺を歩いてみたら道の形状がまた気にかかる・・・。
写真の場所は国道からおおよそ100~200m程入った所で、緩やかなクランク形状をなしている。
しかもそのクランクの内側には社が祭られており、昔からの屋敷がそこにあった雰囲気を出している。
(恐らく社は鬼門避けのものか?)
しかし、大蔵地区から離れた所にあるため、ここを大蔵氏ゆかりの場所とも言いがたく、再び資料を見直してみる必要性があるかも知れない。

●芋茎本村
芋茎本村バス停
国道122号線を北上し、騎西町の芋茎地区を訪ねる。
城館マガイの情報があるわけでもないが、ここに本村という小字があり気になっていた。
騎西町芋茎本村の様子
丁度時間帯が小学生の下校時間になり、子供たちの楽しそうな声が聞こえる。
そしてこの周辺を歩いている自分は、周囲の大人たちから不審な目で見られてしまっていたかも知れない。
この辺りは旧家がおおく、歴史を感じさせる場所である。

個人的に気になる地形
なんとなくこの辺りが周囲の家と違い、格式が高く感じられた。
いまもその中心地には茅葺の御宅が建っており、名主屋敷だったのではと想像をさせられる。

西外れにあった久伊豆神社跡
集落の西はずれには久伊豆神社跡を祭った庚申塔が建てられている。
なお久伊豆神社は騎西町中心の玉敷神社と明治四十年に合祀したと現地の碑には書かれている。


●笠原氏館
旧鴻巣市で元荒川より東にあった笠原地区は旧埼玉郡に属しており、ここには野与党笠原氏が住んでいたと推定されている。
早速その地を小字上手と想定して訪れてみた。
とある場所を歩いていると・・・
笠原地区内の溝
写真じゃ分からないが道の脇に溝がある。
もしかすると今回で一番の収穫か?
笠原地区の溝 その2
交差点を曲がっても西側に溝が続いて、この先の住宅前で途切れている。
ひとまず一週をしてみたが、犬に合唱されてにぎやかになってしまった。
江戸期の名主屋敷にも思えるが、かなりの広さがある事から笠原氏の館跡の一候補になりえる場所である。

おまけ
屋敷の周りにいるネコさん
犬の大合唱が鳴り響く中、目の色変えずに草むらにくつろいでいる猫氏を発見。
こちらが少し近づいても全然気にしておらず、肝の大きさを感じさせられる。


●主計屋敷
鴻巣市郷地の主計屋敷
小字に釣られて鴻巣市郷地字主計屋敷に来たが・・・見事なまでの田園風景が広がっていた。
あれ?屋敷って名前がこの辺りにあったのにとも思えるが、この風景をみると見事な空振り。

●舟塚
屈巣字舟塚地区遠望
旧川里町屈巣の最南端に舟塚と呼ばれる集落があり、ここには中世期の備蓄古銭が発掘されたという。
元荒川に面しており、館跡があっても不思議ではないので早速訪れてみた。

うーん、農家が数軒あるだけでそれなりの地形すら見つからなかった。

●屈巣久伊豆神社
屈巣地区にある久伊豆神社本殿
なんとなくたどり着いたので、ここで参拝をかねて一休み。
なかなか立派な本殿なのでびっくりした。
久伊豆神社境内にある江戸期の碑
境内にある「忍領境界石標」。
解説板によれば忍藩が他領分との境界争いが起こらないように安永九年(1780)に16本建てられた内の一つであるという。
細かい事は彫ってなく、シンプルに「従是北忍領(これよりきたおしりょう)」とデカく彫られている。
遠くを見ると新幹線が轟音を立てながら走り去って行き、時代の移り変わりを思わせる。
城館まがい地ではなかったが、こういうのもたまには良い。



●屈巣普済寺
この寺は永正年間(1504~1520)に朝見兵庫により開基されたというだけであるが、
時代が戦国期になるので何かしらの手掛かりを求めて訪問
屈巣地区の普済寺
南東側に入り道があったのを気づかず、周囲をグルグルと回ってしまった。
そして境内にお邪魔させていただき、縁起などを拝見。
中世期を思わせる地形は見られなかった。


●屈巣真福寺
こちらは天正年間(1573~1591)に島崎内膳によって創建されたとの事。
近いのでついでに訪問する。
屈巣地区真福寺

境内には特に何もみつからなかったが・・・
真福寺の裏側の地形
なんかとっても気になる地形があるが、天気が悪くなり始めたのでパスする。


●菖蒲沼
旧吹上町大字吹上にはかって「菖蒲沼」とよばれる地域があった。
元々は「勝負沼」と言われ、村岡良文と源宛が武技を競った場所であるという伝承が残る。
個人的にはとても好きな話なので、その場所に行こうとするが・・・吹上駅周辺で迷走してしまった。
そろそろ疲れてきたか。
勝負沼の現状
流石に市街地に程近いだけあり、宅地化されてしまっていた。
ただ、この遊水地がなんとなく「菖蒲沼」であった頃を思い起こさせてくれる。


●大芦中内手
旧吹上町大芦地区の様子
県道66号線(行田東松山線)の通過する旧吹上町大字大芦には「中内手」という地名があり。
どこかどこかと探していたら・・・
かっての堀跡を思わせる地形
県道沿いに不思議な地形を発見。
写真手前側が低地になっており、かっての堀を思わせるが・・・
似たような地形もあるので、これだけでは館跡を追い求める事はできない。
しかしながら低地帯である大芦地区において中内手は地形が比較的高く、昔からの村が存在していた可能性は高い。

日が暮れ始め、雲行きも不穏になってきたので、本日はここまでか。
帰りに床屋へ行き、髪をばっさりカット。
そんなことで今日は城館跡探訪という面では収穫が少なかったが、
それなりに楽しい探訪をさせていただけたので感謝。


== 番外編 ==

●魔王
今回の目玉の一つ、某地区小字魔王への訪問。
城館マガイではないのだが、ここの小字名があまりにもレアだったので訪れる。
現地には素晴らしい建造物が建っていて、いかにも魔王様の宮殿を思わせる。
今回は場所がバレるので写真なし。
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DATE: CATEGORY:勉強・挑戦
先に訪問した「霜田氏館」の解説板解読作業、写真映りが悪いために目が痛くなってきた・・・。
現地で紙に書き残す方が良いのだろうか・・・。

して埼玉県内に調査したいところが数点出て迷っていたりする。
菖蒲町、入間市、横瀬町、旧神泉村・・・みんな気になる所ばかり。
山間部はまた冬場にして、先に平野部の調査が優先されるだろうか。
これらの地区は未だに小字を調査していないので、その辺りも調査してみたい所。

個人的にはまだまだ埼玉県内でも充分楽しめる。
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DATE: CATEGORY:城館探訪
今日は久々に城館探訪をした。
ここしばらくは仕事ばかりだったので、リハビリを兼ねて現在の鴻巣市を中心に調査する事に。

●角戸館
角戸館遠景
鎌倉初期に名の見られる津之戸三郎為守の館と伝えられる場所。
ちっと暑い晩夏の雰囲気を味わいながら、半水田地帯のその場所を訪ねる。
地形が思い切り高まっている辺りが、気持ちまで高めてくれる。

●袋地区
元荒川が蛇行していたこの地区は、川の形状が袋の断面に見えるから付けられた物と思われる。
実はここの地区に小字「寄居」・「本村」という名称があり、中世期に砦程度の遺構があったのではないかと思わされる。
ただ、行った場所が不正解だったので、後日再訪問する事になりそうだ。

●石田堤
石田堤歴史公園
今回初探訪。石田堤と上越新幹線の高架が交差する地点に歴史公園はある。
名前は天正十八年の石田三成が忍城を水攻めする時に築堤した事から由来する。
立派な堤がこの周辺に残されているが、これを造成する為に古墳が幾つも犠牲になった事を忘れてはならないだろう。
もしかするとこの周辺の館跡も全てこの築堤の犠牲になっている可能性もあり、かなり複雑な気分を味わえる。
石田堤の現存する堤
それにしても見事に残ったものだ。
江戸期では水害時の避難場所として活用していたのかも知れない。
実は一つ気になる場所があり・・・
荒廃する吹上町町民プール
傍にある旧吹上町の町民プール。
いつから使用されていないのか分からないが、この荒廃ぶりがかなり印象的ではあった。

●霜田氏館
霜田氏館の案内板
ここも前々から行きたいと思っており、ついにそれが実現できた。
各資料には掲載されていないが、有志の方の作られた手作りの案内板にその意気込みが感じられる。
一部読みにくい箇所があるのでなかなか解読が難しいが、いずれ読破したいものだ。
(その後解読作業をチョコチョコと継続中)


その後、現在の鴻巣市全体の小字名を調べるべく、役所や図書館などを巡る。
そして、なんとか小字の一覧表を入手する。
小字を見るとまだまだ怪しいところがいくつかあるので、再び調査が必要ではある。

その後ちょっと騎西町に行った。

●高柳氏館
騎西町上高柳に住んだとされる野与党高柳氏の館跡を探す。
小字では館跡を示す名称が見つからなかったので、神社、寺を中心に探す事になりそうだ。
字舟橋の諏訪神社は江戸期になんてとの事なので、加須市下高柳に程近い宝幢寺(ほうどうじ)を訪ねる。
騎西町宝幢寺
実際に訪れてみたが、寺自体はそれらしい遺構は見られない。
お堂前の解説板を拝見すると創建は江戸初期と推定しており、鎌倉期の武士の屋敷には程遠い。
諦めて周辺を見渡してみたら・・・
上下高柳地区のほぼ中心部にある集落
何かを感じる。
個人的な直感ではあるが西から県道に繋がる道が、集落の中心あたりで途切れている。
さらにその集落の西側だけではあるが、用水路が流れている(ガードレール付近)
この道の形状は地域では名主屋敷などによく作られる道の形状で、いまでこそ何軒かの家が建ち並ぶが、何かしらあったのかも知れない。
しかし、まだ高柳地区全体を調査していないので、ここはあくまでも候補地である。



かくしてその後は図書館で関連資料を漁り、その後眠くなったので車中にて睡眠。
渋滞する時間を避け、深夜に帰宅する。
流石に今回は明確な遺構こそ見なかったが、資料などの情報面では大変満足いく探訪であった。
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