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DATE: CATEGORY:城館探訪
2008年11月23日のW氏初の栃木県城館探訪の模様を写真と共に書く今回のシリーズ。
ついに我々の間にはブームが沸き起こったあの城に行く事に・・・。

●小中城
小中城遠望写真
佐野市小中町字堀の内にある館跡で、北と西側の一部に堀を残しているだけであるとの事。
少々狭いがちょっと路上駐車をし、W氏と城館跡のある場所に向かうと・・・

生きのいい堀
ドーン!!!
今まででも最も保存状態の良い堀が現れビックリ。
しかし、驚いた事はそれだけではない、隣にいたW氏の目がこの遺構を見てランランと輝いている!!

そして・・・躊躇う事なく堀底に駆け下りるW氏。
どうやら遺構はW氏の熱い魂に火を付けた模様。

堀底から見た景色
堀底に一緒に降りた・・・。
埋もれてこの深さだから・・・現役時代はどんな深さなのかと気になる。

遺構の内部より土塁を見る
土塁は多少低くなっているが一応健在。
中世遺構がこの様に綺麗な状態になっているのは一見嬉しいが・・・不吉な予感が頭をよぎる。
そう、遺構の消滅時に見られる伐採である。

西側もしっかり顕在していた。
もう先ほどから生き生きしているのがW氏。
こちらも写真を撮っているが、それ以上に愛用の一眼レフをしっかり構え、写真を撮りまくる。
そして西側の遺構の保存状態を拝見すべく竹林へ。

竹林の土塁
遺構は竹林の中もしっかり残っていて、我々は喜んでしまった。

南より見る堀
うーん、こうして南からみる堀もなかなか良い味わいが・・・

田中正造生家
なお、南側には足尾鉱山の鉱毒事件で問題解決に生涯をかけた田中正造氏の生家が保存されている。
・・・って事は江戸期の小中城の城主は田中氏?


この遺構の保存状態を見て、私とW氏のテンションは非常に高まった!
そんなことで再び車に乗り、次なる城館跡をめざすのであった。

<<  続く  >>
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DATE: CATEGORY:城館探訪
栃木県旧佐野市内の城館をW氏とめぐる旅は順調に免鳥城まで回ることができた。
そのまま北上し、同市並木町にある堀之内城に来た。

●堀之内城
佐野市並木町付近の堀之内城遠景
伝承などを伝えていないが、名称からも城館であった事を想像させる。
遺構は既に堀を残すのみとされているが・・・

堀之内城の堀と思われる溝
っと早速発見。
このまま脇道を歩いていく

堀はまだ続いている
その堀と思われる溝は農業用水路と並行しながら北に伸び、徳蔵寺の墓地まで伸びていた。
向かって右側が遺構であると思われる。

民家脇にも堀らしい溝が走る
先ほどの溝を遺構の西端とし、そのまま中心部である堀之内集落に
するとこの辺りでよく見られるような水路が脇を流れている。

東端と思われる部分
そのまま集落を抜けると農地になり、写真のところで東が一旦低くなる。
西からの距離は大体200mほどであろうか。

少し離れたところから堀之内城を鑑賞
西側を水路と旗川、東を低地(湿地だったのか?)に囲まれている。
しかし、時代の流れと共に伝承も消え、「堀之内」という地名と僅かな地形のみがかっての中世の城があったことを伝えるのみとなっている。
それにしても本当に天気が良いので探訪が楽しい。

堀之内城跡を後にし、次なる城館に向かうのであった。

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DATE: CATEGORY:城館探訪
今回栃木の城館跡初探訪のW氏と回る佐野市の城館探訪、ここで3箇所目になる。

免鳥城
南から望む免鳥城の景色
実を言えばこの免鳥城の訪問は2回目だったりする。

2005年当時の免鳥交差点
それは2005年の2月、たしか北風の強い日だったと記憶している。
唐沢山城と佐野城を訪ねた後に訪れたのが、この免鳥城であった。

2005年2月の免鳥城の本曲輪
そして訪れたら・・・本曲輪が見事な竹やぶだったのである。
さて、それから数年経過して今はどうなっているのだろうか?


この写真の場所は現在更地化されており、民家も建ってしまっていた。
ので写真を撮り忘れるという事態に・・・

土塁か?
しかし、前回は発見できなかった土塁が民家のブロック塀の向こうに!
城の遺構としては上出来な残り具合ではなかろうか?

城の北西の堀
この城は平城らしく水路が水堀となっていた様子が今も残っている。
集落の合間を堀であったと思われる水路は今も流れていた。



本曲輪付近の竹林が伐採された以外は、以前と変わらなかった免鳥城。
あの土塁もそのまま残っていて欲しいところである。
そして、再び車に乗り込み、W氏と共に次なる城館を目指すのであった。

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DATE: CATEGORY:城館探訪
高橋城を探訪し終え、車にて次の城館跡である羽田城を目指す。

羽田城
遺構の一部だと思われる場所
別名亀ヶ井館。
国道50号線の下をくぐり、吾妻中学校の角で右に曲がり、果樹園の付近に辿りついた。

堀?
果樹園のネットの下辺りに溝があるのだが・・・これが遺構なのか。

逆向きになって堀跡と思われる場所を見る
歩いてきた方向を振り返る。
先ほどの写真より更に遺構らしい雰囲気が出てきた。

奥にも続く堀
一旦戻ってT字路の先を良く見ると・・・ブロック塀の北側が溝になっている。
果樹園脇の溝とも連なるようにも見えるが・・・

防風林は土塁の香り
近くの民家の防風林だが、写真に写らないがいい高さに土盛されていた。



さすがに平地の館跡だけあり、遺構の保存状態はさして良くなかった。
しかし、そんなあまり残っていない遺構を見て歩く事も楽しみの一つなのである。
再びW氏のお車に便乗させていただき、次なる城館跡へ向かうのであった。

<< 続く >>
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DATE: CATEGORY:城館探訪
かなーり前の話になったのだが、W氏初の栃木県の中世城館探訪にお付き合いした話をと・・・。
なお、探訪した日付は昨年の11月23日の事である。

高橋城
高橋城があったらしい場所
日頃お世話になっている某城館サイトの管理人様であるW氏(以後「氏」と略す)の初探訪の地となったのがここ、佐野市にある高橋城である。
渡良瀬川の河川改修で消滅しているとは思われるが、それでもあえて遺構を探すのであった。

土手の上
こちらは躊躇するような狭い路でも、氏はなんなく車を進め駐車。
さて、見るからに宅地になっているここに手がかりはあるのか?

微妙に地形が高まっているような・・・
とりあえず周辺をグルリと回る。
うーん、なんとも言えない微高地があって興味が出てきます。

土塁?いや違うかな?
おお、ここはなんとも遺構らしい雰囲気をだしている。
この辺りの道の形状は非常に気になる所。

栃木県から眺める富士山
ほぼ宅地もしくは農地になっていたものの、城があったと思われる感じは残されていた。
再び車に乗り込む前に、土手の上より富士山を望んでみる。
まるで今日の城館探訪を応援してくれているようである。

かくして氏とめぐる濃密な栃木県佐野市の探訪は、こうして幕を開けたのであった。

<< 続く >>
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