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DATE: CATEGORY:城館探訪
<あらすじ>
これは去る11月8日に訪問した城館跡を「1日1城」を目指しドキュメンタリーに書こうとした新たなる試みである。

●羽附陣屋
羽付陣屋 遠景
室町期の陣屋で足利成氏が在城とあるが、それ以上の事は資料がなく不明。
渡良瀬川南岸にあり、周辺は写真の通り(稲刈りが終わっているが)水田地帯が広がっている。
陣屋はどうやらあの茂みの中にあるようだ。

西側の風景
ここだけ見ると微妙な遺構の様な印象をうける。
だが、中世期の城館跡は周辺に何があるかが重要だったりするので、あぜ道沿いに歩いてみる。

水田地帯に高まり
しばらく歩くとそれらしい地形が現れたが・・・
それでも低地特有の水害避けの地形である可能性が高い。

これは折か?
お、更に歩くと写真の風景が現れた。
今までゆったりとしたカーブを描いていたが、ここは直線の区画で、
いままでの雰囲気とは違う。

北東側の風景
写真だと分かりづらいが、左上の民家の垣根が1m程高まっている。
かと言って土塁も堀もなく、僅かな地形的高まりしかないのでなんとも。

雲間から光が
今日は曇りで北風のみ吹いていたはずが、横から太陽が照らされる。
時間はもう午後4時。今回は真っ暗になるまで回る予定である。
そのまま次なる城館跡へ進路を取った。

(明日のブログに続く)
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DATE: CATEGORY:城館探訪
<あらすじ>
これは去る11月8日に訪問した城館跡を「1日1城」を目指しドキュメンタリーに書こうとした新たなる試みである。

●白旗城 (館林市)
白旗城
館林城の東南東約1km付近に存在したという城跡。
位置的に考えても館林城の支城であると言える。
城沼から出た川が北を囲むように流れており、今は河川改修で直線になっているが当時はもっと蛇行していたものと考えられる。

小山も遺構?
西側は団地になっており、土曜日の午後という事もあって公園では子供たちが元気に遊びまわっていた。
っとその公園内になにやら塚が設けられているが?これも遺構であろうか?

堀底道
公園の脇を通り抜けると、東側は若干の低地になっていた。
素朴に考えてみればこれが堀だった名残となろうか。

微高地
笹薮でとても分かりにくいが、ちょっとした高さになっている。
しかし、民家の裏に出る事もあり突入はせず。

堀が中に続くようだ
元は鋭利な堀だったのであろうが、なだらかな地形だけを見せて藪の奥地へ続いている。
それにしてもゴミを捨ててあるのが残念でならない。

橋
館林城の城沼からでた川に橋が架かっている。
一応、車でここまで来れるが、軽自動車でも持つか分からない年季の入った橋である。
しかも、その先は草薮があって、更に運送会社があり事実上車での通り抜け不能。

川に面した城跡
橋の上から城跡を望む。
・・・今は地形が変わったにしてもこの状態が蛇行して突き出していた訳なので、
こちらから攻める気がとても起きてこない。
ちなみに東側に少し行った所には東北自動車道があり、絶えず車が通行している。

馬場
再び戻ってくると馬場跡が今は笹薮になっていた。
道路造成により埋没しているのであろうが、当時はもっと深く堀があったと想像。


白旗城は「これぞ城館遺構」と呼べる所は発見できなかったが、地形を活かした城館跡であった事を伝えてきている。
もっとも名前だけで想像すれば館林城東方の物見であったというのが実情ではないかと考えている。
さあ、次に行こう。

(明日に続く)
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DATE: CATEGORY:城館探訪
<あらすじ>
これは去る11月8日に訪問した城館跡を「1日1城」を目指しドキュメンタリーに書こうとした新たなる試みである。

●侍辺館 (館林市)
侍辺館の西側付近
日没までに時間がある。
となれば行ける所まで行くのが良いので、そのまま館林市へ行く。

最初に訪問した場所は侍辺館。
お恥ずかしい話ではあるが、実は今も読み方がわからない(汗
「さむらいべ・やかた」?「じへん・やかた」?謎は深まるばかり・・・。
ネットで調べても読みを掲載したサイトも出没せず。またここの読みは今後の宿題になりそうである。

さて、肝心の遺構であるが先の明和町での探訪で士気がすっかり下がり、
実を言えば車中からの撮影であったりする。

堀か?
ノロノロ運転で集落を徘徊する車・・・不審車以外の何者でもない(笑
目ぼしい場所に関しては狭い路地に車を停止させて、サクっと撮影するだけ。
今回遺構らしい場所を見つけたのは写真の所ぐらいであったが、土塁もあったようなのでまだ見つかるかもしれない。

そのまま現地を立ち去り、次なる城館へ足を伸ばすのだった。

(明日へ続く)
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DATE: CATEGORY:城館探訪
<あらすじ>
これは去る11月8日に訪問した城館跡を「1日1城」を目指しドキュメンタリーに書こうとした新たなる試みである。

●稲荷山屋敷(明和町)
稲荷山屋敷 遠景
今回最初に訪れた河俣氏の砦以外、明和町には明瞭な遺構が残っておらず、少々士気が下がり始めた。
なれど群馬県の城館跡は奥が深い。これで終わらないだろうと期待し、同町稲荷山屋敷を訪れる。

東武鉄道 200系りょうもう
そばを東武伊勢崎線が走っており、たまたま200系「りょうもう」が通ったので記念撮影。

遺構は多少高い
話を戻し稲荷山屋敷を見よう。
土塁などの遺構が見当たらなかったが、北側を谷田川が流れていて、その向かいは館林市である。
おお?この風景をみると・・・かなり遺構推定地が高くなっている。
その高さは軽トラックをみればおおよその見当がつくだろうか。

稲荷山屋敷とカントリーエレベータ
土塁や堀はないが、この地形の高さだけを見ればこのあたりではかなりの要害であったと思われる。
まして写真の水田が湿地なら尚更である。
場所は比較的分かり易く、明和町北部の東武鉄道・谷田川が交差する地点で、カントリーエレベータのある辺りを探せばこの遺構(と呼べるのか謎)にめぐり合う事ができる。

・・・そんな訳で明和町編が終わり。
さて、時間もあるのでもう少し城館探訪をしようか。

<追記>
明和町には他にも梅原屋敷や江口屋敷があったようですが、探訪当時は知らずそのままスルーしてしまいました。
遺構は消滅との事ですが・・・どう消滅してしまったのか見てみたいものです。


(明日の日記に続く)
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DATE: CATEGORY:城館探訪
●佐貫城(明和町)
佐貫城付近の風景
平安末期頃に住んでいた佐貫氏の館がそのまま発展して城となったという。
国道122号線が遺構の中央を通過して、周辺も民家であるため遺構の保存状態がかなり厳しい環境である。
今はどうなっているのか?

遺構付近工事中
タイミング良く遺構のある集落内では水道管工事を実施中であった。
のでそんなに周辺を見れなかった。

国道122号線付近の様子
国道沿いも歩いてみたが・・・ほぼ遺構は消滅とおもえたり。
写真は遺構の中を走る国道122号線。


西側の堀の名残
西側がもっとも保存状態が良いかと思ってきたが、なにやら巨大な建造物が・・・
病院かとおもいきや某社の社宅らしい。
(最初の写真でそんな予感はしたが・・・)

その関係から、その堀は暗渠化し、簡易駐車場に早代わり。
写真の中央奥がその前の堀の名残かと思える。
いずれにしても「伝承」で片付けられるのではと思える保存状態なのであった。

(明日のブログに続く)
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