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DATE: CATEGORY:城館探訪
久々の城館探訪なので、腕がなまってしまっていたので今回史進様にご同行いただき、飯能~日高~毛呂山~川越にいたるマイナーな場所ばかりを主に訪問する事に。

●吉田山城(飯能市)
近年まで地元の詳しい方しか知らなかったような郷土の砦。
飯能市吾野の三社地区には城跡と伝わる。現在の所埼玉県の中世城館資料には記載がない。
秩父御嶽神社を参拝し、舗装された道を歩く、途中乃木大将や東郷元帥など明治期の名将が銅像に
なっていてこの頃のファンが訪れても多少は楽しめる場所。
奥の院まで来る頃には息が上がってしまったが、なんとか現地に到着。
初回はこの前に本陣山やらの山を訪問した後だったので印象が無かったが、記憶していたより大きい堀切が所在していた。
城の経緯などは不詳だが、城の遺構が室町初期の頃ではないかと史進様は推定されていた。

●台城(日高市)
ここも数回訪れているが、特殊な構造をしているために城館としてどの様な機能を果たしていたのか?推定するのが難しくなっている。
それでも御嶽神社境内には虎口が所在。神社境内からなら夏場でも見学可。

●高麗陣屋(日高市)
江戸初期の陣屋で機能していたのは40年余りだったため、いたって地味になっている。
陣屋廃止後は田畑になったため明確な遺構はないが、水路や土盛りが当時の雰囲気を忍ばせてくれる。

●楡木館(日高市)
日高市内において板碑が集中的に発見された場所で、
ここは車から所在地をみて通過するのみにとどまった。
現在人家で、県道が拡張される前には土塁があったという。
台地の西端部で、西側には深く谷になっている。
こちらも歴史的経緯等不詳。

●神田屋敷(日高市)
日高市史には丹党高麗氏の館跡と推定している地。
現在も私有林の中に土塁が残るが、地権者の警告文が張られるなど
鑑賞する側のマナーの在り方なども考えなくてはならないと思われる。

●中鹿山陣屋(日高市)
民家の合間に土塁あり、藪で実態が把握しきれなかったが、今も遺構は残されており安堵す。

●内村代官屋敷(日高市)
下鹿山字内村にあったと推定される屋敷だが、今年行われた発掘調査によれば遺構からは縄文期の集落などが発見されるのみであったという。
現在は宅地の基礎を造成中。

●雷山城(日高市)
ここは軽く見る。伝説の地だけで遺構は現在確認されていない。
他所にも類似の伝承もあり、真相ははっきりしておらず。

●中丸(日高市)
「行安山」と称する丘で、最高所付近を県道が走る。
二の曲輪が保存状態良しとの文献あるが、現在は宅地と農地になっており不明。

●とうこう屋敷(日高市)
時代ははっきりしていないがとうこう兄弟が浪人を集めて住んだという言い伝えがある地。
多少の土盛りがある程度なので車から降りずに遠目で見て終わる。

●弥次郎屋敷(日高市)
JR武蔵高萩駅付近にあったとされる屋敷で、現在は都市開発により昔の名残は消滅しつつある。
後年この開発が完了した頃には、かっての赴きも完全に失われるのを実感するところとなった。
そんな中、宅地の合間で発掘調査を行われているのを史進様が発見。
東西に二条の堀が走るあの現状を弥次郎屋敷の物と見るか否か?

●市場本村(毛呂山町)
鎌倉街道上道が高麗川を渡り北上したあたりに市場という地名あり。
自然堤防上にある集落には一部土塁らしきものがあるのだが、
それがなんの役割を果たしていたかなどは不詳。
本村の鬼門の方角には市場神社がある。

●大久保陣屋裏(毛呂山町)
字陣屋裏は毛呂山町大久保にあるが、陣屋と想定される地は行政の境界線を超えて坂戸市になる。
現在も森林地となっているが、周辺に比べて1.5m程高い盛り土となっている。
現地の陣屋推定地についての文献等は現在の所未発見。

●推定粟生田氏館(毛呂山町)
周辺に粟生田宅が数軒ある事から推定されている。
葛川の南岸に土塁と虎口の一部が現在もあるが、館跡の大部分は某大学の野球場と化している。
館跡は微高地になっている地域になるのであろうか?

●川角内手(毛呂山町)
川角小学校の裏手に内手があり、小室氏が現地に住んだとされる。
現在周辺墓地に土塁らしき地形はあるが、形態が把握できず。

●西戸の丸山砦(毛呂山町)
目白団地の東部にある小高い丘がかっての丸山であると推定。
東方は視界は良好であるため、東に対する備えか?
頂上部分にわずかながら平場がある。

●岩井重殿淵(毛呂山町)
名称と地形の怪しさにより訪問、民家の笹薮内に深い窪みを史進様が発見される。
人為に掘られた物と考えられるが、用途が不明。
折があるように見えてしまうのが中世城館を見続けている者の性か。

●滝ノ入竹之内(毛呂山町)
越生町に程近い場所で、小高い丘になっているので視界は良い。
しかし遺構などは無く、竹が自生していた為に名づけられた地名であろうか?

●川角竹之内(毛呂山町)
毛呂山町保険センター北の雑木林中に謎の溝があり、史進様にもご覧いただいたが
溝の意味がよく分からなかった。
それ以上に薮蚊の襲撃が強烈であった。

●中西忠太館(川越市)
的場の郷土史より入手した情報により探訪。
土塁がありという話であったが、雑木林と工場地が入り混じり判定するのが困難であった。
字隠ヶ谷戸にも訪問するが上記と同じ。

●西山の発智氏館(川越市)
霞ヶ関西小学校東側がその場所と言われていたが、現在は団地が造成されており、
遺構を発見するのは不可能に近い状態と思える。
北方の視界は良好である。

●下大谷沢館(日高市)
地名に「うちで」が残る為に訪問、緩やかな舌状台地上にある。
畑と雑木林の間に溝があったが、これが何を意味するのか判明できず。

●大谷沢新屋敷(日高市)
雑木林内に謎の溝があり、史進様にもご確認いただいたが館跡の物ではない可能性を指摘される。
こちらも薮蚊が凄いので、再調査はまた冬季に持ち越しとなる。

●田木館(日高市)
小字「内手」と「堀の内」を車中より観覧。現在は集落になっているため、遺構の所在を確認するのは困難であった。

●酒依氏屋敷(日高市)
新編武蔵風土記稿に当地に酒依氏の屋敷ありと記載がある。
近世の屋敷のため、目ぼしい遺構は少ないと思われる。


なんだかんだでこれだけの訪問をこなせたのも、史進様のご協力無しにはなかった。
改めてご意見をお聞かせくださった史進様にはお礼申し上げる次第である。

今日って雨が降る予報が出てたのに晴天になり、非常にのどが渇く一日であった。
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