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DATE: CATEGORY:城館探訪
「埼玉の古城址」の黄地八幡さんのサイトにて戸塚城の発掘調査が行われている事を先日知った。
4~5年前に見た遺構の迫力をいまだ忘れられなかったので、急遽深夜3時に飛び起き川口へと車を走らせるのであった。


●戸塚城
実に数年ぶりに訪れた戸塚城跡。想像していたより破壊はされていなかったものの、以前発掘調査をしているところは農地+宅地に変貌していた。
今回調査をしていたのは北側の道路を挟んで反対側である。周辺には主要道になるべく拡張工事をした道が、今だけ地元の駐車場として利用されていた。
遺構をじっくり見てみる・・・。うーん、いいお堀だ。この周辺の眺望を考えるとここの立地条件は極めて優れているのがよく分かる。
だが、範囲が狭いので30分以内に撤収。舌状台地は残されるので、せめて解説板ぐらいは設置して欲しいもの。

●藤波陣屋
戸塚城と向かい合うようにあった陣屋跡。かなり近距離なので徒歩でも軽々行ける距離である。
こちらは発掘調査すらも行われずに、次々と建築物が建ち始めている。
遺構はほぼ無いものの、北側(戸塚城側)は急激に落ち込んでいるので、戸塚城の対の城とみるのが普通か?


●赤山陣屋
なんと何気に今まで訪問した事がなかった赤山陣屋を訪ねる。こちらは関東郡代伊奈氏が居た陣屋だけに保存活動は非常に活発で、地元の理解もあり公園化していた。
解説板に書いてあった二の丸は、有事の時の詰の城になるのではって思えた。理由として本曲輪とされる場所に比べ若干高い地形である事、櫓台(天守?)らしき土盛が一部に残されている事、西隣は湖沼となっていて、地形的にもっとも堅牢に見える事などである。
グルグル周囲を周ってみたが、いたる所に解説板が設置されており、ある程度わかり易く書かれていた。

●殿山城
東に伸びる舌状台地先端部にあったとされる館跡。
実はここを訪れた時間には通勤通学ラッシュアワーが始まっており、駐車場所が見当たらないので金剛寺の入り口を撮影しただけで撤収。

●密蔵院
1~2年前の埼玉新聞(だったような)に密蔵院が中世期の館跡であるという記事があった。その真相を探るべく、密蔵院に足を運ぶ。
実はここは地元では知らない人が居ないほど有名な名刹であったようで、歴史も古いので歴史研究者が何人か足を運ぶ場所であったという事であった。その事もあってか事務の方に大変親切にしていただけたのが嬉しかった。
それで肝心の遺構は東にある舌状台地だと思うのだが、所狭しと並ぶ墓地に埋もれて遺構らしきものは発見できなかった。ただし、東部は開けており眺望は大変良い。

●本郷城
殿山城同様駐車スペースが殆ど無いので入り口だけ撮影し撤収。南側が急激に落ちているので、この地形を利用した遺構であると納得。

●石御堂遺跡
ここはほぼ遺構が壊滅しており、言われない限りはわからないほどである。
ので周辺の写真を数点撮影し、こちらも撤収。


さてさて、これで第1部は完了。
続いて西に少し移動して鳩ヶ谷市に向う。実はここの中世期の情報が殆どないので歴史資料館に足を運ぶ事に。どんなに周辺を回っても専用駐車場なんてないので、コインパーキングに駐車し、情報をお教えいただいた。
突然訪れたにも関わらず我が愛用の地図に書き込みまでしてくれるほど丁寧に教えてもらえた。どうもありがとうございます。
そんな訳で第2部のスタート

●三ツ和遺跡
鳩ヶ谷市における中世期最大の遺構だという。発掘現場は源永寺付近と八幡木中学校付近の2箇所で、それぞれ中世期ごろの堀跡が発掘されたという。
また国道122号線沿線も幅2mもの堀跡が発見されたらしいが、これを鳩ヶ谷の開発領主である鳩井氏か鳩谷氏に結びつける文献は発見されていないという。

●里字屋敷添遺跡
県道58号線のバイバス線建設によって発掘された遺構。こちらは戦国期ごろの遺構とされているが、近くの集落にそれらしき趣きを感じる場所がある。館跡というよりは集落と見るべきであろうか?

●法性寺
ここは舌状台地先端部に境内があり、その周辺からは戦国期頃の物と思える堀が発見されたという。
しかし、狭い道をグルグル2周回っても入り口が見つからない。地元の方に聞けば台地からは行けず、下から入るのだという。流石にこれは気付かなかった。
境内はほんの僅かに周ったが、遺構らしき物は無いが、南方の視界は大変優れている。


さて、第三部は・・・東の草加市に。
先ほどと同じく草加市も資料が不足しているのでこちらも資料館へ足を運ぶ。
・・・かなり狭い道を行く上に一方通行、尚且つ工事につき通行止めもありで辿りつくまでに20分ほど細い路地を迷走す。
なんとか資料館に辿りつき、2台ほどしか停まらない駐車場に停めさせてもらい見学。
何気に綾瀬川の川底より発見されたという5300年前の丸木舟は良かった。
肝心の中世城館は、残念ながら草加市の南部と北東部を除き殆どが湖沼であったようで、遺構はまず無かったという事であった。シルバー人材派遣で資料館の留守を預かるその方は、何気に中世城館の事を熱心に耳を傾けてくださったので、何気に1時間半も城館についてこちらが語ってしまったのであった。ついでに近日消滅する戸塚城も堀を見て下さいねと念押しして資料館を後にした。


・・・城館を見ようかと思ったが、折角こちらに訪れているので、越谷市の図書館に入って資料を集める事に。
なんだか今頃になって空腹時の効果音が静かな図書館内に響き、かなり恥ずかしい思いをする。
それにしても夕方の5時になるまで空腹を忘れるほど城館を見ていたというのは、我ながらあきれ返ってしまうのであった。

城館探訪もでき、資料を集める事もでき、最後に渋滞に巻き込まれた以外は全て良かった今日。
曇りで日差しがなかったのもベストコンディションだったというのは言うまでもない。
今日は大変楽しませてもらいました。ごちそうさま。
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DATE: CATEGORY:日記、その他
新PC購入計画を練っていたりする。
我がPC(自作)も早四年の月日が今年の夏で来るのだが、悲鳴を上げながらも頑張って付き合ってくれている。
最近ではちっと部屋が暑いので、ケースの蓋を開けて直に扇風機を当てるという荒業までするようになってしまったという。確かに使い始めはホコリ対策を万全にしていた・・・つもりだったが、結局中はホコリだらけなので、開き直ってしまっているのである。うーん、いいのだろうか?

まずは最近値下がりが続くHDDから購入しようか?500GBが最近すごく安くなったし。
箱はRAIDする時に備えてシャドウベイの多いものにしようか。
CPUはヂュアルにするかクアットにするか。

こんな贅沢な悩み、自作だからこそできるものであるな。
もうメーカー製品に戻れない身体になってしまったのであった。
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DATE: CATEGORY:植物日記
旅行に行ってから早2週間が過ぎた。

個人的に色々あってあっという間に過ぎたという印象しかない。城館の探訪も資料の調達などもまったく行っていないので、かなり出遅れた感じがしてきた。

埼玉県大里郡の中世城館もほぼ埋まってきて、進路をそのまま南下し比企郡にしようか?それとも埼玉県北東部の北埼玉郡の城館にしようか迷う所。
1年前に比べて「小字を調べる」という調査方法が身に付いたので、再度小字名を調べて無名の中世城館まがいを探していく旅もまた味わい深い。

全ては我がきまぐれになってしまうのが最大の問題であろうか?
しかし、埼玉県全域の調査だけはしっかりやって行きたい所である。
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DATE: CATEGORY:城館探訪
深夜までかなり騒いだ割に、朝の目覚めは早かった。外を見ると朝日が優しく温泉街を照らしていた。
ちょっと朝食まで時間があったので、温泉に入って来て、さらに外に出てみる。
流石に昨日の館山(大鳥城)まで行く時間がないので、何年後になるか分からないがその時に訪問してみよう。

バスに乗り込み山中のクネクネ曲った道を走行していく・・・正直城館がありそうにない地形なので、急に眠気が・・・。

ガスがかかって見えないが福島市街を西から望む

軽く眠っているとバスが有料道路のちょうど見晴らしの良い場所に停車した。
一回外に出てみたが、ガスがかかって見通しはあまりよくなかった。
なんとか福島市内の信夫山がなんとか見える程度であった。

吾妻山地の荒地を道路は走る

妙に木が無くなり「森林限界を超えたか?」っと思ったが、看板に「火山性ガス注意」の看板が・・・来るまで知らなかったが、ここは火山地帯のようだ。

浄土平

バスは山地のなだらかになった「浄土平」というところに停まった。
うーん、この木も草もないという感じが正に火山な雰囲気を味わう事ができる。
他の観光客が東にある小山に登っているので一緒に登ってみると・・・。

吾妻小富士の火山口

おお、なんて大きい。
火山であった山はその口を今も大きく開いて観光客を出迎えてくれているようにも見えた。
火山口を一周する事ができるようであったが、集合時間に間に合わなそうなのでパス。
でも晴れた日なら素晴らしい景色を見る事ができたのであろうな。


少しお土産を買い、バスは山を下っていく。
自分で車を運転するならともかく、バスに乗っていると流石に酔いそうな・・・。
いつの間にかまた眠り、車は猪苗代盆地へ。


猪苗代盆地より望む磐梯山

車は猪苗代湖がある猪苗代盆地へ入ってきた。
そこには猪苗代を代表する磐梯山が特徴的な山容で出迎えてくれているようである。
途中で亀ヶ城というところがあったようだが、バスはその側は通らず高速に入ってしまう。
そして進路を西に向けた。



今回の目玉というべき会津若松市の黒川城へやってきた。
以前に天守は登っているので、今回は周囲の縄張を見たい。
さっそくリーダーに単独行動の許しを得て、いざ探索。

●鶴ヶ城(福島県会津若松市)
北の丸付近にある鶴ヶ城の石碑

芦名氏によって築かれた当初は「黒川城」といい、奥州の名門芦名氏の居城として存在していた。
芦名氏は桓武平氏の三浦氏から出ており、その姓も現在の横須賀市芦名から取ったとされている。
ところが戦国末期になると米沢の伊達政宗に侵略を受け、天正十七年の摺上原の戦いにおいて芦名氏は大敗し、事実上滅亡した。
黒川城を手にした政宗であったが、既に豊臣秀吉が西国から関東を征伐していた。
大局を見極めた政宗はその元に帰参したが黒川城は没収され、代わりに蒲生氏郷が黒川城に入城、城名を「鶴ヶ城」と改めた。
江戸時代に入っても会津の中心地として城下も栄えた。


鶴ヶ城の石垣

久々に見る石垣はなかなかいい。以前は天守に目を捉われてしまっていたが、やはり城の命はその外周の防衛設備であると改めて思った。


北の丸の入り口には「若松城」の石碑が建つ

今回来て気付いたが、石碑が二つある事を知った。
追手門にあるこちらの石碑は「若松城」の名が刻まれている。

本曲輪北側の太鼓門にある枡形虎口を上から

周囲の石垣も上から見る事が無かったのでじっくり拝見。
実はこのアングルから見るのは今回が初めて。

本曲輪東廊下橋の風景

普段であればあまり関心を示さない大城郭であるが、久々にじっくり見てみるのもなかな良い。

鶴ヶ城天守

城に興味が無くても一目で分かる城の象徴。
今回は入城パスする。

鶴ヶ城にある鐘撞堂

ここ「鐘撞堂」も今回初めての訪問である。
本当は外を一周したかったが、集合時間が来たので今回はこれにて終了。


・・・こうして今回はほぼ終わったのであるが、2日目はほぼ観光旅行記になっているような。
まあ、こうして色んな観光地を巡る事もたまにはいいなっと思ったのだった。
今回ご一緒くださった皆様、お疲れ様でございました。
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DATE: CATEGORY:城館探訪
地元の青年会で福島県に旅行に行く事になった。ずっとバスに乗っての旅行だという。
という事は・・・

自分で車を運転しない→車窓を見る事を専念できる→中世城館の遠望写真を撮る事ができる

っという結論に導かれ、窓側に張り付いていざ福島県へ向う。
天候に恵まれたので、よき城館写真が撮れそうだ。


●小南城 (栃木県下都賀郡藤岡町)
小南城を東北自動車道から見る

ここの不明瞭な遺構を再び探訪してみたいと思っていた矢先に高速越しに遠望写真を撮れる事になった。
なお、皆様からみれば単なる人の墓地を撮影してるようにしか見えなかったという事実・・・。


●皆川城(栃木県栃木市)
東北自動車道から望む皆川城

唐沢山城を撮影し忘れたので、皆川城に目をつける。
山深くて分かりづらいかと思ったら、思い切り木が伐採されていて、なおかつ「城」の文字が。
未だに訪問してはいないが、整備されている場所なのだろう。


・・・まだ城の側を通過したと思われるが、資料不足のためそのまま通過してしまっている。
もっと資料を持ってくればよかった。

そんな事で旅行の第一目的地であるアサヒビール福島工場に来た。
アサヒビール福島工場外観

みちのく最大のビール工場というだけあって広い。その上置かれているタンクが、遠くから見るとまるで缶ビールを並べているようにも見えた。
内部は撮影禁止のため写真は無いが、かなり大きな設備が中に備わっていた。
しかし、それ以上にインパクトがあったのは、他の酔っ払い観光客であろうか。
時には40人ほどが全員酔っ払いで来るとの事で、その風景は最早我が頭では想像を絶している。


●大森城(福島県福島市)
実は大森城は右端にある山であった・・・。

伊達政宗の腹心である伊達成実の生まれたという説のある割と凄い城らしい。
何気に撮影してみたが、よく地図を見ると城は写真の山より東であり、思い切り誤爆をしてしまっている。
上の写真の右の盛り上がりが大森城の一部である。




アンナガーデンにある教会

そして一向は福島市にあるアンナガーデンという場所に着いた。
・・・ここはどう見てもこちらと比べて場違いな感じが拭えない・・・。
でも構内の雑貨屋さんは見てて楽しかった。


●大鳥城(福島県福島市)
大鳥城を北から望む

地図で見ると「館山」といういかにも城を彷彿させる名前を発見。
ここは帰った後に調べてみると大鳥城という城で、源義経の臣佐藤忠信の父が築いたという伝承がある城であるという。
ただ、この大鳥城の名が見られるのは室町期に入った頃までで、その後は大鳥城の名は文献などに見られないのだという。
飯坂温泉から近距離で、ちょっとしたハイキングコースでいけそうな感じである。


かくして一向は宿泊地である穴原温泉へ辿りついた。
今回は他にも館とか屋敷とかの名前がついた場所を通過したが、バスの中からの撮影は本当に困難を極めた。
また、二本松城を撮影し忘れて、(個人的に)減点が更に増えてしまった。
ちゃんと周辺の遠望の見えるのを確認しておけばよかったと改めて後悔するものなり。

宿に着き、温泉で一風呂浴びたら宴会と、普段じゃ味わえない付き合いをさせてもらったのであった。


(後編につづく)
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