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DATE: CATEGORY:日記、その他
最近は色々な事があったので城館関係の事はなにも進展なし。
まあ、梅雨に入った所もあるのでしばし資料集めか休養かという所。

何気にネット上の動画に学校で唄う歌というのがあって、久々聞いていた。
音楽室で歌わされた(という感覚だった)時とは違い、
年を少しだけとるとこういう曲もなかなか味わい深く思えてくる。
当分の間、癒しの曲として聞かせてもらおう。

知っている曲で「水玉のふるさと」という歌があるが、
この歌はかなり知られていない様。個人的にはかなりの名曲に入る。
でも、ネット検索しても詳しい事が分からず。
曲の編成がかなり変わっていて、サビを思い切り中央に配置して1番しかない。
(2番はあるのかも知れないが、当方は知らず)
作詞された館蓬来氏は学校の先生だった方のようなので、今は亡くなってしまわれた様子。
作曲された渡部節保氏はウィキペディアにすら載っていない方で情報はほぼ皆無。

世の中人々に知られていない名曲というのが、
無名の中世城館と同じく、数多くあるのだなっと改めて思った。
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DATE: CATEGORY:城館探訪
本日は大変お日柄が良かったので大里郡寄居町の中世城館探訪へ赴いた。
が、私用が幾つかあり、城館探訪を開始したのは午前11時と割と遅め・・・果たしてどれだけ回れるであろうか?

●用土堀ノ内
用土堀ノ内を北から望む

用土駅から南東約1kmにある館跡。櫛挽台地の中央部にあるが、猪俣城あたりから流れる小川によって耕地を成す事ができる場所となっている。ぐるっと回るが北側の水路が目ぼしいところで、集落の南の道路が集落を迂回して走っている事から、ここに館跡を求める事ができると思うが・・・。

●桜沢堀ノ内
桜沢堀ノ内付近、国道敷設によりほぼ壊滅状態に

こちらも地名で残っており、一般的には猪俣党桜沢氏の館跡となっている。地形的な比高差は特に見られないが、周辺を用水路が囲むかの様に流れる。館跡は現在宅地になっている部分であると思われるが、ほぼ遺構が無いに等しい。

●桜沢中内手
道路を挟んで南が「前内手」、北が「中内手」

上記の堀ノ内の西南西に「中内手」の小字があり、地区名も「本村」とある事から、こちらが桜沢地区の中心であったと思われる。「北内手」にはかって湿地であったと思われる水田地があり、南側も画像に写る水路が流れていた為に多少の要害をなしていたと思われる。しかしながら古くからの集落のため、土塁などの遺構は発見するに至らなかった。

●藤田氏館
藤田氏館の北東部

猪俣党藤田氏が居住したと思われる館跡で。南は荒川の絶壁、東と北は小川が深い谷を作って要害を作り出している。ただ、西には明確な遺構が見られず、館跡の範囲が不明瞭である。
西側の農地はかっての馬場であろうか?

●末野蔵屋敷
末野字蔵屋敷は微高地である。

花園御嶽城から延びるなだらかな尾根上に「字蔵屋敷」の地名が残る。今でこそ点々と新築の家が建ち始めたが、かっては田畑であった。すぐ上の方に旧家があるが、ここがかっての蔵屋敷だったのであろうか?遺構などは特に発見できなかった。

●末野屋敷入
屋敷入の風景を円良田ダム上より見る

字屋敷入という地名を元にやってきたが、とても館跡がありそうな地形には思えない。そもそも地名が「屋敷の入り口」という意味がありそうなので、その場所をやや広さのある現在の円良田湖に求めてみる。現在湖底に沈んでいる屋敷があったのだろうか?

●葉栗氏館
的場の地位名が残る場所の遠望。国道の拡張工事の基礎が作られていた。

丹党葉栗氏の館跡の場所であるが、小字から推定した上で的場と呼ばれた場所に赴く。円良田川が蛇行して荒川に流れ込んで居るため、秩父地方特有の川の合流地点を利用した館跡に近い地形ができている。しかし、周囲からは丸見えであるため、そこより北にある字関口にあった可能性が出てきた。

●金尾堀ノ内
金尾地区の白髪神社入り口

上記の葉栗氏館の候補地の一つとしてここも考えている。戦国期には金尾氏の領地であるが、鎌倉期には葉栗氏の館跡であった可能性もありうる。
現在の白髪神社には金尾要害山城を称えた漢文があり、金尾城城主金尾氏もこの白髪神社を信仰していたとある。南は切り通しの谷が船着場に向っており、北は井戸沢川が流れて堀を作っている。また中世を通して交通量は多かったようである。

●織原氏館
荒谷川越しに織原氏館を望む

折原地区字堀ノ内はかっての丹党織原氏の館跡があったと伝わる。荒谷(あらやつ)川が蛇行して流れているのを利用して堀を作ったと思われるが、南と東には堀や土塁は見られない。周辺は耕地化されているので遺構は喪失したものと思われる。
荒谷川沿いに立つ郷土カルタの標識に、織原氏の館跡がかってあった事を書き残している。

●立原堀ノ内
舌状台地を利用した立原堀ノ内

立原小学校東の實聞寺周辺が堀ノ内であるという。ここも明確な遺構を見られないが、西から伸びた舌状台地上にある地形で、南側は深沢川の支流が作り出した谷津になっている。また北側の防御面が緩いことから鉢形城の出城の可能性もあり、車山からの攻撃に備えて緊急に作った砦であったのかも知れないが、本当に車山から大砲を撃ったとしたらどれほど砦が有効であったかという感じである。

●水野陣屋
水野一族の墓、ここは何故か土塁により固められている

あまり期待しないで訪問してみたら、なにやら直感としてなにかある雰囲気を感じる。茂みを見てみるとそこには美しい土塁と堀が・・・久々の保存状態良の遺構に出会い、疲れが吹っ飛ぶ。
西側の墓地にも土塁などがあり、水野一族を葬った墓地はここの実城である雰囲気を感じた。

●尾薗氏館
尾薗氏の馬場であったとされる清本寺

水野陣屋より北西に行くと小園地区があり、そこには猪俣党尾薗氏が居住していたという。
太古の荒川が作り出した河段丘を降りるとそこにはやや広い水田地帯があり、北端の集落前には「字内亭」の地名が残る。内亭とは内手の誤植であろうか?集落は北は荒川の絶壁が、南は湿地帯(現在は水田地)と囲まれた地形で、東西は荒川に流れる谷津が分断しており、ある意味別世界を作り出しているようである。
荒川対岸眼下には鎌倉街道が走っていたとされ、この館跡からの眺望は大変良かったものであると思う。

●島田氏屋敷
さりげなく土塁を置く島田氏屋敷

ここも期待せずに付近を歩いたら、堂々とした土塁に遭遇しビックリ。土塁はこの一部しか残っていないが、それでも宅地内でも残る遺構に感謝するものなり。

●無動寺氏館
不動寺の南にある切り通し跡。現在は線路が出来て塞がってしまっていた。

現在の不動寺がその館跡ではないかといわれている。
しかしながら本堂は丘陵部の下にあり、明確な堀が残っていないところを見ると館跡は本堂部分ではなく、現在の墓地に求めるのが普通か?南側に写真の切り通し跡が残されており、ここから墓地を経由して北側の県道までを館跡の範囲と見るのが自然であろうか?中央を東武東上線が分断しているのが少々残念だが、後日線路の向かい側にも調査を広げる必要がありそうである。



かくして日没になり、本日の調査は終了した。
寄居町の遺構まがい地を含めても、今日だけでまだ半分過ぎたぐらいしか調査できなかったので、また時期を見て再調査をする必要がある。

・・・それにしても良く日焼けした。
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DATE: CATEGORY:更新作業
今日、児玉郡美里町の中世城館リストをアップさせたが、今回も地図なし、また地図サイトへのリンク無しという手抜きっぷり。また持ち合わせの文献では載っていない城館跡については記載もしないという。これも「後で」なんて言っていると忘れるのであろうが・・・

地図の作成は早くて2時間もかかる結構手間のかかる作業で、やるにはある程度の集中力を要するのである。毎年この季節は調子が悪くなるので非常に能率が悪い。
このまま秩父地方の城館リストに移行するのもいいが、昨年調査した大里郡の城館跡を再調査するのもまたいいかなっと思った儀一であった。
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DATE: CATEGORY:日記、その他
今年も夜間の路肩を大勢の人々が、雨の降る中を黙々と歩く。

最初この風景を見た時には大変不気味さを感じたが、後日聞いた所によると早稲田大学恒例の行事らしい。埼玉県内にある本庄キャンパスから所沢キャンパスまでを夜を徹して歩くという事であった。

昔、私も似た様な事をすることになった。あれは中学生の夏休み頃であろうか。
遠く離れた土地で20kmを水筒一つ持たされて指定されたルートを地図通りに歩くのである。午後3時の日が傾き始めた頃に出発し、大自然の中をその時の仲間と共に歩く。ただ歩いているだけでは辛いので、歌を歌いながら歩いていた記憶がある。
当然日は暮れてて夜となり、街燈の少ない道だったので月の光と懐中電灯を頼りに、黙々と歩いた。なんとなく水田で歌うカエルの鳴き声が、こちらを応援してくれている様にも聞こえた。
ゴールしたのは確か夜10時だったような記憶があるが、数十年前の記憶なので定かではない。

今夜も道沿いを歩く彼らを見ると、上記の出来事を自ずと思い出すのである。
あの行進で「どんな環境にあっても頑張り抜く」という事を少しだけ学んだ気がする。彼らもきっと仲間と夜を徹して目的地に歩く事により、大切な物を見つけるはずである。

雨でも目的地に向って頑張れ!!
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DATE: CATEGORY:勉強・挑戦
今日は天気が良かったので城館探訪をしようかと思ったが、平日という事もあり各市町村役場に赴き小字名を調べる事とした。
少々内容が良くないので自治体名は伏せていく事にする。

まずA町に行くと税務家にて公図を見させてもらった。
ちっとぶ厚い本であったが、詳しく載っており、更なる意欲が沸いてきた。

そのまま最近B市と合併した元C町に行く。
するとこちらでは台本帳を持ち出して来てはくれたが、大字地区ごとにファイルがまとまっている上に一冊閲覧するだけで料金を徴収するという決まりになっていてビックリ。
調べたい気持ちがあったが、小字名だけを調査するのに料金を支払うという事に非常にショック。

合併された市町村ではダメだと思い、今度はD町に足を運んだ。
こちらも最初戸籍などを扱う市民課に行った後、地図と併せて見たいという事で税務課に移動。
公図などはなかったが、小字を調べる事ができて嬉しい。

最後になったがE町に行く。
時間ギリギリになってしまったからどうかと思ったが、職員さんが親切に対応してくれた。
ただ、白地図の如くA1版一枚の地図が巻いてあったので、非常に見づらかった。
でも知らないところに「堀ノ内」やら「内手」の地名を見つけて内心トキメキが絶えなかった。


こうして同じ小字を調べるのでも各市町村では違うのがよく分かった。
小字が軽視されるのは都心部に近づくにつれてその傾向は強くなるという印象があり、「小字は現在扱っていないので」なんていってると、整理しやすいという事から大字も番号、市町村名もアルファベットでとかみんな数字で管理されてしまうのかなっと危機感を感じたりも。

小字はその場所の歴史を示す大切な物だと思う。普段から使えとは言わないが、せめて小字のあった事やその大体の場所ぐらいは記録に残して欲しい所だったりする。
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