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DATE: CATEGORY:城館探訪
今日はクリスマス・・・
何故か1週間前から「クリスマス=天引城」の形式が出来上がっていて、「クリスマスにはこの城を探訪するしかない!!」状態であったので、行く事にした。
今朝は久々に夜明けと共に城館探訪を楽しむべく、日の出の時刻を逆算して家を出た。

●天引(あまびき)城
天引城遠望、薄曇なのであまり綺麗に写っていない。

群馬県甘楽町の天引地区にある山城。
前回は麓付近が採石場であるのを知らずに入り、見事撃退されてしまった要害。
それゆえに侵攻ルートを西側から東に変更、そして比較的登るのに適した尾根筋を地図で検討し、今回再チャレンジの形となった。
遺構が採石場の餌食になっていない事を期待す。


天引城の進行ルートの入り口

北側のゴルフ場と天引城の間を走る道路沿いに見て居ると、こんな入り口を発見。
ここから登り始める事に・・・

採石事業により作られた切り通し

っと途中で巨大な堀切が!!
だが遺構の場所より遠く、なおかつ良く見ると道が繋がっていたりして、堀切にしては不自然である。
こんな巨大な堀切があったら・・・まず越える気が起きなくなるのう。

朽ち果てた小屋

途中で幾つもの採石設備が放置されており、この小屋もなかなかの朽ち果て具合である。

天引城、東側の掘切

更にしばらく登っていたら、ようやく堀切を発見!!
おお、遺構は破壊されずに残されていた・・・とっても素晴らしいので見とれる。

天引城の帯曲輪(二の曲輪か?)

更に上がると最高部である本曲輪を囲むように二の曲輪が。
そして本曲輪中央には狼煙台として使われていたような穴があった。
しかし・・・その穴にゴミが捨ててあったのでかなり悲しくなってきた。

天引城、南側の掘切

本曲輪にて風景を楽しんだ後、南側の尾根続きへ。
するとゴッツイ感じの堀切があった。
この先も尾根は続くが、まるで壁のように切立った岩壁の上に辿りつくので、こちらからの敵の侵入はまずはありえ無そう。

天引城、西側の堀切

そして本来の大手口である西側の尾根より下山する事に。
途中、平場を経由し、再び堀切があった。
しかし、その先は非常に急斜面になり、降りるのが困難であった。
もしかすると今回の上り口で正解であったか?

今回の下山口、中央付近に登り口がある。

かなりの急斜面、かつ荊付きというゴージャスな防衛設備により、転げ落ちる様に道路に到着。
場所は道のピークより東に少し下った写真の場所であった。
それにしてもこの入り口は、流石に気付かなかった。


こんな事で無事リベンジが出来た訳であるが、ある意味秩父比丘尼城再訪問へのリハビリとしても最適な城であったかも知れない。
もっともあっちの城の道の無さの方が極悪なのではあるが・・・。



●八束城
八束城の遠望

天引城の谷を挟んで東隣にある山城。
こちらは吉井町になるが、数年前にこの城に南側から探訪しようと挑戦したが、結局その堅固さに撃退された事があった。
つまりはこの城もリベンジすべき城の一つだったのである。
ネット検索をし、この城は北側の尾根から登っていくという情報を入手していたので、道を探す事に・・・。


八束城には専用駐車場を借りる事ができる。

登り口を探していたら、なんと駐車場を発見。
どうやら地権者様のご好意により提供されているらしく、それに甘んじて車を停めさせていただくことに。

八束山入り口

そこから南に少し行くと看板付きの登り口を見つける事ができた。
途中アップダウンが多いが、ハイキングという概念で歩くのであれば楽しいと思われる。

史跡 『羊の足跡』

休み休みに登っていくと、羊の足跡なる岩を発見。
この大きさ・・・どう見ても30cm以上はあるが・・・羊太夫はどんな大男だったのだろう?

八束城北尾根上にある堀切

更に登ってみると遂に堀切を発見する事ができた。
こいういう設備があった事を考えると、八束城は戦国期あたりにも使われた可能性が極めて高くなってくる。

所々に案内板が・・・

所々に案内板が設置されていて、それに従っていけばまずは迷わないかと。

八束城本曲輪東にある堀切

案内板に書かれていた空堀(堀切)はいたって美しいたたずまいを見せてくれた。
なんだかんだで休み休みきたら登ってくるのに1時間半もかかったが、遺構を見る事によって癒される。

東側の曲輪より本曲輪と堀を見る

うーん、やはり何度見ても美しい。
しかも北側は木が伐採されているので視界は良好である。

八束城西側の登山道

試しに本曲輪より西に下りてみたが・・・これはすごい。
一応登山道になってはいるが、岩場ありで、ロープを捕まったりして行く極めて難易度が高いコースであった。
これでは北尾根から登る方が遥かに楽であるのう。

そんな事で無事麓に到着した。
この城に関して言えば、多少ダウンアップがあっても明らかに北尾根コースを通った方が安全であると言える。
丁度時間がお昼になったので、昼食を摂る。


●神保植松城
神保植松城遠望

本当は今回行く予定はなかったのだが、ついでに行く事にした城。近年上信越道が遺構の中央を貫通し、破壊されたと聞いたが・・・遺構の名残は残っているのであろうか?

遺構の一部であると思われる空き地

今回は資料も何も持って来てないので分からないが、この辺りも遺構の範囲だと思われる。

奇跡的に残されていた土塁と堀

半ば諦めながら周囲を見渡すと、畑の中に巨大な土塁が!!
しかも堀はご丁寧に桑畑になっていたようだ。
この土塁を見て、モチベーションが急上昇。


●多胡下城

そのまま勢いに乗り多胡の下城を見に行く事にした。
地図に書かれている場所に車で行くが、狭くて進めないので、途中で乗り捨てていく事にした。

多胡下城への道

地図上では車道してあるようだが・・・この状況をみると自然に還りつつある感じが強い。
果たして遺構は?

藪に包まれた秘密のベール

・・・遺構の場所は見事な藪に包まれており、一切が分からない。
せめて周囲の堀などが見れればと思ったが見つからず・・・
テンションが大暴落する。


●多胡館
多胡館への道標

このまま北上し、多胡館へ。
テンションが下がったお陰でかすかな遺構すらも無いだろうと侮っていたが・・・
なんと周辺には「多胡館」と明記した案内板が幾つも設置されていた。
実はこの時はここに源義賢(木曽義仲父)の館跡だとは知らずに来ていたのだった。

多胡館解説板

館跡には大きな解説板が設置されていて、吉井町でも有数の遺構であるというのが伺える。

竹林の中に遺構が・・・

その解説板の裏には既に土塁が!!
更にその先には小口があり、なかなかの雰囲気を出している。
こんなに素晴らしい遺構があるとは予想もしなかったので、正直驚いた。


●多胡城
多胡城を下から望む

これなら多胡城の方はというと・・・民家になっていて調査が難しそうな感じである。
多胡館の方は立派な遺構を残しているのと対照的な感じがする。


●川内砦
川内砦を国道254号線より見る

そのまま歩いて川内砦へ。
国道254号線付近にあり、その存在感の無さがなんとも・・・
先端部は墓地になりつつも何とか残されているが、陸続きである台地部分は宅地になっていて、遺構を見出す事は叶わなかった。


●矢田城
矢田城付近を西側より見る

ここは「矢田代官屋敷」と併用で見るのがお薦めのようだ。
遺構の写真は民家の敷地内になっており、撮影は出来なかったが、このままずっと保存しておいて貰いたいほど、素晴らしい遺構が残されていた。


●天久沢陣城
天久沢陣城内にある観音堂

もう日が暮れてきたのでこれが最後と天久沢陣城へ。
古い地図しか持って居ないので位置が今ひとつわからなかったが決め手は観音堂であった。

って・・・思い切り公園化されてしまっていた。戦前まで草競馬をしていたとの事で、公園内にコースが設けられていた。
それにしても吉井の町が一望できる場所であり、武田信玄が一時の陣城として利用した価値がなんとなく漂ってくる場所である。



・・・とこんな感じに夜明けから日暮れまで、明るい時間を全て使い城館探訪をしてしまった。
やはり山城があると非常に時間がかかるが、今回は無事探訪できてよかった。

これで吉井町の城館は半分は行った事になり、そろそろ城館リストを作りたくなってくるのであった。
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