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DATE: CATEGORY:城館探訪
今日は「城逢人」の史進様夫婦と「城跡ほっつき歩き」の和平様という豪華メンバーで滑川・嵐山の城館探訪をする機会を得た。
合計4名だが、この人数で城館探訪をするのは実は初めてだったするのだが・・・なんとかなるでしょう。

●羽尾堀の内
丁度一週間前に訪れたばかりの場所であるが、「溝かな?」程度で通り過ぎた場所が堀跡だった模様。うーん、暫く城館探訪していなかったら見る目も鈍るものなのだろうか?
でも堀跡が確認できて良かった。

●五輪沼
遺構紛いのある場所で、五輪沼が周囲の紅葉を受けてなんともキレイであった。近くの丘陵を登る途中で切り倒した木が積んである場所があり、そこで和平様が左足を半分以上はまられるアクシデントが発生。怪我が無かった様子でよかった。廃寺(福厳寺)の近くには土塁と思われる高まりがあった事を教えていただいた。

●愛宕山
現在では愛宕神社のある独立丘先端部を観察。舌状地を断つように堀が見受けられたが、遺構か道か?謎が深まる。

●水房館
和平様のお陰で初めて訪問する事ができた。周囲に住宅があるので訪問が難しいかと思っていたが、市道(私道?)が通っていたお陰であっさり訪問できた。途中地元の方々と挨拶を交わしながら一行は遺構のある丘陵地へ。目を引く遺構はほぼ無かったものの平場が見られ、それなりの高さがある為に眺望は大変良かった。

●岡部氏陣屋
今まで思い切り知らないでスルーしていた場所。慶徳寺境内の裏山には畑があり、それを仕切る道が非常に不自然な程深く掘り下げられていた。ただ、畑自体は傾斜がついており、曲輪と呼ぶには謎が深まる遺構であった。

●神戸沼
一度コンビニに立ち寄り、岡部氏陣屋の北にある神戸沼へ。丘陵地帯にも関わらず空が広く感じられ、なかなかいい雰囲気である。
神戸沼南岸に件の紛い遺構があった。地形として東の街道から避けるように隠れて平場があり、下の方には崩落を防ぐ補修跡の石積みもある。方角を考えてみると隠れる為の屋敷と見るべきであろうか?
帰り道に危うく犬のフンを踏みそうになる。

●陣場沼
三門館の南にある沼で、その作りを見るとかなり年季の入った灌漑用貯水池であるのがわかる。その南岸には竪堀があり、それを登ったところにはかなりの広さの平場があった。思う所に中世期に豪農あたりが住んでいて、登ってきた道が小口となっていたのではと推定す。
三門館周辺には似たように尾根筋を断つように切り通しが見られ、大変好奇心をくすぐられる。

●二ノ宮山
城館遺構ではないが、滑川町最高所という事でお立寄りする。山頂には6~7階ぐらいありそうな高層展望台が備え付けてあり、登ると地球が丸く見える。
ここらでお昼になり、展望台で景色を見ながら昼食となった。風が無く穏やかな陽気であったが、風が無い為にガスも多く、さして遠くまで見る事ができなかった。
また、かなり高性能な望遠鏡が備え付けてあり、あまりにも遠くがはっきりと見えるので何処を見て居るのか判らなくなってしまった。

●酒井氏陣屋
森林公園の西、成安寺周辺にあったという近世の陣屋跡。
境内には平場が幾つもあり、本堂あたりが屋敷があったような雰囲気である。隣接して馬頭観音堂もあり、なかなか趣きがあった。

●泉福寺館
谷ツ城へ向おうと思ったら、忘れてしまっていたので急遽訪問。手前としては今回初めてであったが、竹林内にあった堀や曲輪を見て思わずハッスルす。
笹薮は極悪なれどここの竹林はとても視界が良く、伝承の伝わらない無名の遺構に惚れ惚れする有様。

●谷ツ城
嵐山町にある遺構。
関越自動車道嵐山インター建設により堀切が破壊されたが、幸いに曲輪本体は残された。と言うより本体より周囲の防衛施設が非常に価値があるだけに、数年遅れて見る事になった事を悔やむばかり。
位置を考えれば杉山城の北の出城にも捉えられる。滑川町の谷城と最初間違えたある意味思い出がある場所である。

●高谷砦
今まで手前が上り口がわからずに遠慮していた城の一つ。この度は和平様のご案内により、ようやく訪問が叶い嬉しき限り。街道筋を抑えた要害は現在でも難攻不落を誇り、現在でも城兵として入り口付近に番犬が声を枯らしながら守っていた。
その遺構は・・・すばらしい!!今までこんなステキな遺構を見ていなかったなんて・・・今まで損していた気分になる。
ただ、その堀の作りが非常に謎めいており、作りかけて必要性がなくなり放置されたのではないかと思われる。ここで皆様とステキな城館遺構の撮影を試したりと楽しい時間を過ごさせてもらった。



っとここまでほぼ和平様の予定していた通りにスケジュールが進み、日没となった。
それにしても他の方々と城館探訪をすると、皆様の見識の深さにかなり学ぶ所が多い。また今後もこうした機会を増やして、皆様と共に城館探訪をし、語り合いたいものだ。

最後に本日ご案内くださった和平様、史進様夫妻には感謝。




<追伸>
今回ご一緒された方々のブログも平行にご覧になられると面白いかも知れませぬ。宜しかったらどうぞ。

史進様→ 「本日はオフ会でした」

和平様→「滑川町南部悉皆踏破」
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DATE: CATEGORY:城館探訪
強烈な寒波の為、今朝乗り出そうと思った車がガキガキに凍ってしまっていた。ので予定より時間が遅れてしまったが、とりあえず魅惑の足利城を探訪する事にした。

萩原城付近の図

●萩原城(太田市)
田園地帯の城館かと思いきや、すぐ近くを北関東自動車道が建設されて慌しき状況を呈していた。しかも遺構が・・・公園工事??貴重な遺構が破壊されてしまったのか?と慌てていたら、どうやらその東側の集落が推定地だと見受けた。本曲輪と思われる場所は田畑になっていたが、侵入方法が判らず今回は見送り。

丸山の砦遠望

●丸山の砦(太田市)
ここは見事な程の独立峰で、田んぼの中にポツンと山が出来ている感じである。北東方向麓には駐車場があり、車を停めて上がってみるとそこには絶景が待っていた。今まで南の金山城ばかりに目を奪われていたが、ここもなかなか。東側はまったく平地なので、広々とした風景が楽しめる。・・・ここで初日の出拝んだらすごいご利益ありそうだ。機会があったらここで日の出を拝みたいものよのう。

矢田堀城の碑

●矢田堀城(太田市)
金山城の北の守りを固めた城との事ではあったが、宅地化されている事もありあまり期待せずに訪れたが、良い意味で裏切られた。多少分断されているとは言え、土塁と堀が民家の合間を縫う様に残っているのである。これには思わず手を合わせて拝んでしまうほどであった。北西に諏訪神社があり、ここに車を停めて解説板と遺構を見て大満足。

只上の砦付近の河段丘

●只上の砦(太田市)
旧毛里田村役場近くにあり、その役場宿舎も珍しいつくりをしていた。近くに「中内出」という地名も残しているが・・・目ぼしい遺構はなかなか見つからない。しかしながら、北側は少しばかり地形が高く、堀があった可能性もあり得るが・・・

道原城付近の遠望

●道原城(太田市)
別名国斉寺城。渡良瀬川に面して下野国に接し、南は矢場川の作り出した谷に囲まれた幅300m程の場所にある。その場所を回の字に堀で区切っていて、現時点で見る地理では絶好の要害を誇っていたと思われる。・・・が肝心の遺構は宅地や畑になっており、本曲輪には新興住宅地が立ち、新たなるご城主様方が生活を営んでおられた。
最初白山神社付近にあるとばかりに歩き回っていたが、資料の図と違うので広範囲に視線を広げたら、そこより西側であった事がわかった。城跡の西側は北関東自動車道の建設が始まっており、地図上で高速道路が渡良瀬川を渡る地点にあるので、ある意味場所がわかり易くなるかも知れない。だが、僅かに残された堀跡は今は畑になっているのであった。

県道からも見える市場城の堀

●市場城(太田市)
県道を走っていても遺構が直ぐに見れる場所にある。道路拡張でやや土塁を削っているものの、西半分の保存状態は極めて良く、これには興奮度がアップ。だが、東半分は耕地及び宅地になっており、遺構は壊滅している。


ここまでが太田市の毛里田地区の城館跡であった。まだ北側の太田市の唐沢山城やらを見ていないのだが、これは後日に回すものとす。
さて、渡良瀬川を渡り、いよいよ足利城との再会である。

渡良瀬川越しに眺める足利城

●足利城(栃木県足利市)
両崖山山頂に築かれた城で、藤原足利氏が誇る山城である。その眺望と要害性により戦国末期まで残った。
何気にこの城は手間の中において桐生柄杓山城と五覧田城に並び「両毛の惹かれる城」の一つになっているので、今回再訪問出来てよかった。
前回は夕方になっての訪問であった為に本曲輪に着いた時点で日没、下山がヘッドランプをつけながらの山道となったで、じっくりと遺構を見る事が無かった。そのため、今回は大まかな遺構は全て回るつもりで訪れた。
織姫公園に車を停めて行こうとしたのだが・・・紅葉が始まって天気の良い日曜日という「混雑する条件」を見事にパスしている時期であるのをすっかり忘れていた。本来の駐車場には収まりきれない程の車にあふれ、路上に車を停める方も出る始末。手前もそれに便乗して駐車し、足利城へ行く事にした。
・・・結構距離があり、ダウンアップもある関係から、山城のリハビリに丁度良かったのかも知れない。いつくかの絶景を見渡しながら足利城に到着。幾つかの以降をじっくりと拝見する事ができた。
城だけを探訪するなら本城一丁目から登る登山口に車を停めた前回の方が早く行けたように思う。まして今回のような日は特にそちらの方が良かったのかも知れないのう。

稲山城の様子

●稲山城(足利市)
足利市内の城館跡もちょこっと訪問しようと訪れたのは稲山城。本当は東山城や尻無山城に行こうと思ったが、事の成り行きでここに行く事になってしまった。
西側に稲荷神社があり、本殿の側より山道があって、そこから遺構へ行く事ができる。が、素晴らしい藪があって見事撃退された。本当に手前もヘナチョコになったものよのう。

樺山城の遠望写真

●樺崎城(足利市)
本当は凄い山奥だと思って行くのを躊躇っていたのだが、何故か訪れてしまった。樺崎八幡宮の東の山で、地元では城山と呼んでいる。
さて、場所は見当ついているが、肝心の入り口が不明。なので地元の方に尋ねてみるとこれが中世の城であった事を知らなかったらしく、驚かれておった。手持ちの資料をお見せすると妙に関心を寄せられ、折角なので途中までご案内下さるとの事。申し訳ないと思いつつも感謝してお願いする事にした。
どうやらここは地元では別名「きのこの城」という呼ばれ方をされ、きのこを取りにこの城に登るらしい。が、驚くほど明確な山道がない。結構倒木などもあり、大変な状態でありながら「直登が早いよ」とガンガン登っていきます。うーん、地元の方のバイタリティには平伏致します。中腹ぐらいにまで来て「後はこのまま頂上目指して登ればいいよ」とここでご案内終了となった。ここまで明確な登山道のない城館は久々なので、冬季の山城探訪のウォーミングアップも兼ねて登る。うーん、それにしても倒木が凄い。
山頂付近になり三段の曲輪が姿を見せる。ああ、いいなあとそのまま本曲輪へ向ったその瞬間。顔面に思い切り蜘蛛の巣が!
・・・流石にこれには萎えたので引き返す事にした。確か東側の尾根に本来の道があったはずと思い探してみるが、獣道しかない。まあ獣道でもいいやと下っていくと、今度は本当に獣しか通れないような藪が。犬やら猪ならともかく人が通るにはこの藪トンネルの高さが余りにも低いので、上から踏んづけて降りていく事にした。
沢まで来てようやく人の通れるような道が現れた。ここの城ほど直登が有効な城は今までになく、そういった意味で非常に貴重な体験をさせてもらえた。


っと樺崎城で迷っている内に日がかなり傾いてきたので、足利市内にある県立図書館で調べ物をすることにした。2階の郷土資料室にはじっくり読みたくなるような資料がタップリ。わーいと浮かれていたら、今日は日曜日なので午後五時の閉館だとか。しかも、コピーは閉館30分前に依頼しないとアウトらしい。げげ、もう10分しかない!!
手早く本日探訪した太田市と足利市の城館資料を調べ上げ、時間ギリギリに依頼成功。そして無事資料を手にする事ができた。
・・・それにしても足利市の城館資料って何処にあったのやら?全市史の内9割が近代以降。しかも中世城館に関連する記述が殆どなかったような・・・手前の見落としならいいのだが。


かくして今日の城館探訪は実に充実したもので幕を閉じた。足利城で吹き始めた北風がとても冷たくなってきた。こんな中城館探訪できると楽しいだろうなと思いながら家路に着いたのであった
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DATE: CATEGORY:日記、その他
久々にここを見たら凄い所にバナーが・・・直そうと思ったが直し方判らず・・・
そんな訳で今日の城館探訪を「赤服の日記帳」に書いて、ここは暫く休止する事にした。

最近は日記も書くこと少ないのでこれでよいのかものう。



「赤服の日記帳」
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DATE: CATEGORY:城館探訪
ので今日の城館探訪の成果をここに書き残す事に

●泉井館(鳩山町)
前々から再調査をしたいと願ってやっと今日再調査できた。
「鳩山の地名」には鎌倉時代に泉井(いずい)領主であった井上判官行重の居館があったとする「八幡谷(はちまんやつ)」について書かれていた(これも「泉井村誌」より出自)
まずは泉井神社へ、ここは「馬場山」と称される丘になっていて、上が方が若干傾斜があるものの、ほぼ平坦地になっている。さて八幡谷はどこかと地元の方に訪ねた所、この泉井神社より東に数百m程行った所に「八幡谷の沼」と地元で呼ばれる灌漑用貯水池があるという。行ってみると・・・確かに沼があった。周辺は集落になっており、それらしい場所は見つけられた。ただ・・・アレが堀と断定していいのか悩む。丘陵の比高差はおおよそ15mぐらいはあろうか?

●大堀館(滑川町)
ここはまったく訪れた事がなかった館跡。新都市計画で破壊されたかと思いつつ訪問したが、運良く旧家の敷地だったようでそれらしい場所は残されていた。今ひとつ遺構の規模がはっきりせず。

●水房館(滑川町)
この小高い丘陵を登ろうかとしたが、なんとなく乗り気がしなかったので止めてしまう。その代わり沼のほとりで日向ぼっこしていた黒ネコ様と戯れる。恐らく高速道路の近くの沼から遺構へ登れそうな予感。

●羽尾堀の内(滑川町)
羽尾城は訪問したものの、ここも訪れた事がなかったので訪問。日差しが暖かいのでここで昼食を取り昼寝す。
羽尾神社周辺に遺構があろうかと探すが見つからず。神社後ろの丘陵地にも回って見たが廃屋があるぐらいで目ぼしい遺構が見つからなかった。
すると人懐こいネコ様が近寄ってきてお腹を見せている。おお、ここぞとばかりにカメラに収める。でもカメラを構えるとビックリするのは何故に?きっと魂を吸われると勘違いしたのであろう。
そんな訳でここも遺構がはっきりせずに退散。


途中で近くの町立図書館へ。資料漁りをしてみるとなかなか魅力的な資料が揃っている。むむ、このまま居ては夜になってしまう。軽く資料をコピーさせてもらい、次なる館跡へ。

●城原城(滑川町)
図書館から300m程の近距離にある館跡で、谷を挟んで向いに山田城がある。とりあえず直登してみると・・・あれ?なんか見た事がある。初めてだと思い込んでいたが、どうやら数年前にここを訪れたようだ。丘陵部は一部墓所になっており、南直下の民家と道が繋がっている。とりあえず藪のところを訪れてみると、堀にしては不自然な溝があった。これは新たなる発見だ。
だが、「侵入したら即通報」という威嚇する看板も目に入った。うーん、以前はこの看板なかったような・・・どうやらタケノコ泥棒がここでタケノコを取っていくようだ。通報されないように注意せねばのう。


そんな事で今日はここまでにして、明日も城館探訪できるので資料集めをする為に東松山市の図書館へ。ここは城館資料が豊富な上、夜7時まで開いているので結構助かる。ひとまず城館資料を集めて本日は終了なり。

明日は久しぶりにあの城へ行ってみる事に。
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DATE: CATEGORY:日記、その他
数ヶ月も個々に書き込みしないと↓の様な広告がでるのか(笑

まあ、面白いから残しておくとするか
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