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DATE: CATEGORY:城館探訪
今日も再び休みを貰ったので、一昨日に引き続き加須市の城館探訪を続ける事に。

resize4141.jpg
と田園風景を車で疾走していると、東の空が明るくなり始め、真っ赤に燃える朝日が姿を現した。
うーん、とてもキレイだ。途中で車を停めてしっかり朝日を撮影した。
肉眼だともうちょっと赤みのある朝日だったのだが・・・これが肉眼とカメラの違いであろうか?

そうしている内に最近発掘調査をしている牧野陣屋へ訪れた。

●牧野陣屋
とてもええ堀跡だ・・・
キャー!!早速堀があるー!!

っとこんな感じに狂喜する。けどこれも喪失する可能性があるので、そう考えると微妙なものだ。
一通りぐるっと回って写真撮影に勤しむ。現場の方が居られないので発掘現場に入れないのはちっと残念か。
そんな事でそのまま加須市に向かう事にした。



●久下塚氏館

遺構自体は特に見当たらないが、開発される前までは一面水田であったという。
隣の南篠崎地区とはまた違った様相を見せており、かっての区切りを思わせる水路が流れていた。resize4045.jpg
さらに周辺を彷徨っていると写真の碑を見つけた。
どうやら野球の監督さんの碑らしいが、あまり興味がないので読まなかった。

それにしてもこの辺りは野本と称する家が多い。もしかしてこれらの野本さんは久下塚氏の末裔か?


●門井館
かっての利根川の作り出した河畔砂丘の側にあった館跡。
「門井の森」という名称が付くぐらい木が生い茂っていて、遠くから見ていてもなかなか風流。
門井館を囲む水堀の一角。
しかも県道沿いの歩道からもこの水堀が鑑賞でき、なかなかいいです。


●河口氏館
旧奥州街道の利根川の渡し付近に館跡はあったという。
かっての利根川の流れを彷彿させる中川
何気にかっての利根川だった葛西用水を見ている内に、利根川の流れを渡り武士が往来していた頃の風景を思い浮かべていた。
そんな事で川口橋の付近に車を停めて歩いて行くと、近くに洗礒大明神という祠を見つける。ここにこの周辺がかっての武蔵武士である河口氏が住したと記す石碑が置いてあった。確かに周囲は民家になりながらもこの祠の付近は小高くなっており、小字が岡である事から館跡のあった雰囲気を偲ばせてくれた。


水田地帯のど真ん中の神社で車を停めてみた
なんとなく館跡っぽい雰囲気がしたが、木がみな若い事から中世以降に植林した可能性があった。
だが、この暑い日差しの中、神社境内は木陰になっていて、まるで砂漠の中のオアシスを見つけたような気分になった。
ではここから紛い館跡を2点ほど訪問する事に。

●皿沼
水路を作るときに室町期頃の板碑が30枚近くも発見されたという情報を聞き、訪れてみた。
5m程の地高がある浅間神社の塚の遠望
うーん、この状態を見ただけだと厳しい・・・。
かっては沼地であったというその地には古代の古墳が7つあって、その一つが写真にある浅間神社の古墳である。
木で分かりづらいがここはかなりの高さがあって、物見としては使える地形であるが、肝心の遺構はというと水田になっていて厳しい状態であった。


●太田見竜屋敷
江戸中期の医師である太田見竜(けんりゅう)の生家があるという事で一応訪問。
場所は田園地帯に集落が点々とあるだけで、「屋敷跡」と呼べそうなところが見つからず。
やはりかなりマニアックな分野であったのか?ちっと萎えた。


●館山
加須市最北にある館跡。羽生領の東の守りを担ったと思われる。
館山の東にある八幡神社。この付近にも馬場の地名が残っていた。
神社から西が館跡であるらしく、藪に覆われながらも堀らしさを感じさせてくれる。
確かにこの周囲は少しだけ高さがあり、なかなかいい。


折角ここまで来たので、戯れと休憩を兼ねて加須未来館を訪れる事にした。
resize4142.jpg
利根川のスーパー堤防とやらの上に建っていて、星の観測などもできるようだ。
広い館内は冷房が効いていて、昼寝をするのには最適であった。レバーで月面上を走る車のミニチュアを操縦したり、超小型水力発電で電球を灯したりと何気に遊ばせてもらった。屋上にも上がれて、ここは真冬の天気の良い日にまた訪れたいところ。

こうしたものを見ているとプラネタリウム(写真中央のドーム)で上映会が始まるらしい、ので早速参加させてもらった。大人は一人100円で45分間のプラネタリウムを見れるらしく、折角なので見させてもらった。上映するアニメは「銀河鉄道999」で、見ていて結構面白かった。

↓催しの詳しい事は公式サイトにて
「加須未来館」


さて、楽しませてもらった所で、利根川を渡り北川辺町へ足を踏み入れる。
北川辺でもっとも有名な中世城館は「麦倉城」こと「倚井陣屋」である。どこかな?っと探し回っている内に西小学校という所で田中正造氏の墓を見つける。手前でも知っている田中正造氏の墓がここに?と思いながら合掌。
地図ではこの付近に郷土資料館があるらしいと書いてあるが、一向に見つからないので、学校に突撃してみた。

夏休み中という事もあり、真夏の学校はなんとも静かである。職員室に赴き当番の先生に色々と聞くと、資料館は体育館を作るときに「北川辺ライスパーク」という所に移転したらしい。また学校では北川辺を守ってくれた恩人として田中正造氏の偉業を子供達に教えているらしかった。確かに氏が政府に訴えなかったら、この北川辺は谷中村の様に湖沼と化してしただろうからのう。

そんな事で校内を探索させてもらったら、校内に「倚井陣屋」の碑を発見。
明確な遺構は皆無だが、こういう陣屋の経緯を書かれた石碑があるだけでも嬉しいものである。
帰り際に再び職員室を訪れた時に城館探訪について色々とお話をしてしまった。何気にお茶まで出していただき、恐縮してしまう儀一。校舎が来年に立替するとの事で、その時に陣屋についての発掘調査をしてくれないかなっと密かに願ってしまうのであった。


それから情報をさらに収集するべく北川辺ライスパークとやらに訪問する事に。
最初にライスパークに資料館があると思っていたら、どうやら別に敷地内に資料館を作ったようである。

北川辺町郷土資料館

一通り見てみるとやはり水害との戦いが町の歴史であったようで、中世城館についての展示品がほぼ皆無であった。そんな訳で北川辺町の民俗関連の資料があったので、ちっと読ませてもらった。すると北川辺町に関わった中世武士たちのエピソードが幾つか書かれていた。

麦倉城で北条氏に滅ぼされた源氏石川氏。
落ち延びる時、年越しに村人からうどんを提供され、それが縁で北川辺の開発に尽力した新田江田氏。
平清盛の末裔で、天正年間頃に飯積本村にて帰農したという新井大膳。

他にも鎌倉期の大曽四郎の館跡もあるかも知れないという話もあり、なかなか個人的に萌えてきた。もしかするとこの北川辺って町は調べ方によっては面白い発見がありそうで、ワクワクしてきた。


最後に図書館があるそうなので、そこでその資料をコピーさせてもらい本日は終了。
resize4143.jpg
帰り際に素晴らしい入道雲を見つけ写真に収めた。
こういう雲をみると「夏だ」と改めて思うのであった。
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