fc2ブログ

カレンダー

05 | 2007/06 | 07
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

ブログ検索


天気予報


-天気予報コム- -FC2-

最近のコメント


カテゴリー


月別アーカイブ


DATE: CATEGORY:日記、その他
ついに「DDR1 PC3200 1GB」が家に届いた。流石にメモリーカードのみの梱包だから中身が緩衝材以外はスカスカ(笑

メモリースロットはとりあえず4箇所ある。一応全部取り替えるのは怖いので、以前まで使っていたメモリーは差し込んで使ってみた。ついでに購入したエアスプレー(?)でPCの中の埃を吹き飛ばし、いざ電源スイッチオン!!

おお、一応は動いた。だがこれも以前まで使っていたメモリーを挿入しているからにほかならない。果たしてメモリー数は増えたのか?
マイコンピュータを右クリックしてプロパティを見ると・・・

おお!!メモリー数がしっかり「2.50GB」を表しているではないか。やった!!

っと思ったら思ったより変化ない。きっとメモリーを多く使うソフトでその効果を発揮するのであろうのう。その時が楽しみだ。
スポンサーサイト



| BLOG TOP |
DATE: CATEGORY:城館探訪

今日は史進様と約束をしていた群馬の城館探訪に一緒に赴く。
何気に群馬の資料は少しだけ持っていたので、そちらをコピーしてお渡しし、城館探訪を開始した。

・・・とその前に手前が気になる「遺構まがい」について史進様にご覧いただきたく埼玉県旧岡部町に立ち寄ってから行く事に。

●今泉氏館
広泰寺の裏山がその怪しき場所で、土塁にも見える地形をみていただいた。何気に広泰寺に少しだけ手がかりになる案内板を見つける事ができた。やはり人と一緒に遺構を見に行くと違うのう。

●六反田遺跡南の古墳
ここは経蔵院の西側にあり、古墳でありそうだが上部周囲を土塁で囲み櫓台や小口を設けていて、その上板碑も丁寧に設置されている。岡部町史が古代編まで編纂されているので、そちらを参考に見てみるとこの詳細が明らかになるかも知れない。

●本庄総合公園近くの諏訪神社
ここは藤原氏ゆかりの史跡があるとの事であったが、失念。周囲がなんとなくだが土塁があるが、明確に中世の遺構とは断定できず。手前も生活城館病にかかったか?

●浮浜城
・・・の石碑脇に資料を配布していたというので、史進様のリクエストにより探訪。黒い石碑基礎部に赤い郵便受けがあったが、その郵便受け自体が壊れており資料が皆無と見てこの度は撤退。


いよいよ神流川を渡れば今回のメインステージである群馬県藤岡市である。ワクワクしてくるのう~


●小林館
国道245号線の「小林交差点」北側にある遺構で、笹川と館の川に挟まれた地形上にあったという館跡。この辺りを領したという小林氏の遺構であるという。
現在はコンクリート工場になってしまっていたが、館跡東部の深田は未だに残っており当時の名残を色濃く伝えていた。

●根岸築城遺跡
一説によれば芦田氏が芦田城(藤岡城)ができるまでに仮の居館としていたという説がある。
現在では245号線バイバスが出来て遺構の一部は喪失してしまっている。だが神流川が作り出した河段丘は未だに健在であり、当時いかに地形を見て築城したのかをよく伝えていた。
付近に根岸家の墓があり、そこには甲斐武田氏の槍術指南役であった根岸氏が武田氏滅亡後、当地に来て土着したと墓石に彫られていた。情報は思わぬところから得られるものだ。

●大神宮山城
245号線バイバスの本郷交差点南西側にある舌状地上にあったという伝承不明の遺構。
内部は明神宮になっているが、民家も兼ねて建っているので少々入りづらい所があった。だが南の尾根続きに堀切と土塁があり、土橋があるという情報であったが・・・少々の藪で発見できず。

●牛田砦
医光寺付近に砦があったという情報はあったが、河川の氾濫地区にあり、遺構は流された可能性が高い。しかしながら小さな水路が意味ありげに道路中央を流れていたので、これが大きなヒントになるかも知れない・・・。

●椿社神社(川除砦?)
本当は川除地区にあるとの事であったが、どうしてもこちらの椿社神社境内の方が河段丘上にあり要害性に優れているように見えてしょうがなかった。
それと同じく美九里小学校南も河段丘が突飛している場所があり、ここにも要害がありそうな雰囲気をだしていた。いずれにしても明確な遺構はあらず。

●芦田川屋敷(城戸砦)
神流川とその支流が織り成す自然の要害を巧みに利用した砦。伝承によれば芦田信守が城主と伝わる。
尾根がくびれた所を堀で区切ったりと地形の上手な利用方法に史進様も大満足。更に谷津を挟んで向かいの「前屋敷」推定地にも訪れ、若干の堀などを発見。いずれにしてもこの辺りの地形を大いに利用した遺構には手前も大満足。

●保美の砦(内出砦)
芦田川屋敷の南に位置する遺構で、現在は民家敷地となっている。
ここも崖端を利用した要害で、北側には谷津より掘り広げた堀があり、西側の尾根続きにはうっすらと堀跡らしき面影を見る事ができた。
なお、ここから本格的に雨が降り始めた。

●神田砦
ここは地名から名付けられていると思うので(じんだとりで)と読む。
緩やかな山裾斜面にできた微高地に遺構推定地があり、南北は谷と水田に囲まれる。最高地点と思われる場所は藪が凄く見るには及ばなかったが、なんとなく館跡のありそうな雰囲気はだしていた。
ここを平井城の要害の一つという説もあったが、西側には監視に適切な丘が幾つかあり、史進様と話し合った上で地侍の居館だったのではという意見で落ち着く。
ここは秋の稲刈りをする頃に訪れると素敵な場所であった。

●三本木砦
三名川流域の集落をその推定地にするが、史進様は北側にある丘に目を付けられる。
早速その山に登ってみると・・・おお!!これは曲輪?いやそれだけでない、堀切らしき地形もある!手前と史進様に今までに無いほどの興奮度が起きる。しかし・・・その先に垂直に石取りされた箇所があり、また堀などの地形が新しい感じがあった事から石取り様の史跡であったという結論に。
丘上からは三名川越しに三つ山城などが直視できるので、もしかすると烽火場として利用されていたのかも知れない。

●高山館
高山城の南山麓にある。県道沿いに立派な石垣があるので割りと目立つ。
史進様のお気に入りの一つに数えられ、ふたりして雨の中、「民家を写さず石垣だけを撮影」に挑戦す。

●清水山城
ここには立派な遺構が残されているという話であったが・・・間近でみると大迫力。雨も降っていて明確な登山道が不明な事から今回は見送りとなった。
見に行けば素晴らしい遺構が残されていたのかも知れないが、残念なり。

●子王山城
「こおうやまじょう」と読む。現地案内板によれば平将門の家臣、柴崎兵部景家により築かれたとされるようである。
標高550m上にある子王山山頂にあり、城館跡というより「2000階段」の方が有名らしい。
(ネット検索したが、「子王山城」でヒットしたのはごく僅か・・・)
西は一郷山城から平井城付近を経て高山城を見下ろす絶好の地形で、手前も史進様もこんな穴場があったのかと驚く。天気も雨模様であったが、車で「見晴らし茶屋」まで来て傘を差して階段を登るだけでこんな素晴らしい絶景を見れた事に深く感謝。
また腰曲輪南側に赤いお社があり、中にノートがある。それを見ても城館として探訪されている方は少なかったので、本当に穴場であったのだなっと実感。
なお、ここより西に下ろうと思ったが、林道崩落という事で引き返す事に・・・。

●高山城
いよいよあの藤岡市の高山城平野部へ突入した。
群馬県内では割と多く感じられる「山城」「平山城」「平城」の三点セットになった「複合城」で、幾つかの砦の総称として高山城と呼ぶようだ。
現地の案内板がある辺りは何故か石垣が築かれている所があり、観光地化を途中で断念したような雰囲気の漂う場所であった。
なお、詰の城は現在ゴルフ場の所有地になっている模様で、現地に立ち入れるかは現在の所不明。某ゴルフ場にて城館跡の事を尋ねた時にあまり良い対応がなかったのであまり期待できないが、問い合わせをする事ぐらいはできるかも知れない。

●駒留城
高山城より平井城や平井金山城をパスし、日野中央小学校付近の駒留城へ。ここの城はなんとなく埼玉県飯能市の小瀬戸城に雰囲気が似ているが、遺構の規模がまるで違う。城址北の谷沿いには根小屋跡と思われる石積みが数箇所あり、沢沿いは絶壁で登る気も起きない。そのまま沢を遡り尾根上へ。車両通行止めになっているが、徒歩で歩く分にはそんなに支障をきたさないので安心した。
遺構部分に入ると東西に伸びる尾根の北側を自然地形を残し、南側に腰曲輪を配している。史進様にはこれは横矢をかけるための配置ではと大変興味深いご意見を賜る。更に先に行くと堀切があり、腰曲輪(帯曲輪か?)を経て本曲輪に辿りつく。本曲輪には石祠と鳥居がああり、南側(鳥居側)からも登ってこれるようだが、急斜面で天候が雨なので断念。
しかし、この訪問ルートは獣道があるのだがそれを読めないとやや厳しい。となると道が明確な南側から行くのが最良か?

●東平井の砦
そろそろ時間になってきたので七村城や後藤屋敷は諦め、平井城の衛星城館を探訪することに。
この東平井砦もその一つで、東京電力西毛変電所の南西部田園地帯にわずかに土塁が残っていた。完全に消滅するわけでなく、点切れの様に土塁が残されている様はこれで風情があり、是非ここは真夏の暑い日差しの中訪れてみたいと思うものなり。

●飛石の砦
本日最後に飛石の砦を訪問する。平井城とは鮎川を挟んで対岸にあり、河段丘を巧みに利用した城館跡である・・・はずだったが、現地は殆ど遺構が消滅し、道路脇に堀跡がかすかに残るだけであった。だがこれもこれで味わいがあり、堀の規模から見るとかなりの要害であったと思うのである。



ああ、藤岡の城館跡を見ている内に、群馬の城館をまた巡りたくなってきた。
この度は雨の中自動車の運転し、手前の城館探訪にお付き合いしてくださった史進様に、篤くお礼申し上げる所存であります。



(追伸)
ご一緒くださった史進様の「城逢人」のブログにも本日の模様が書かれております。
同じ場所を巡った我ら二人の違った意見を読み比べすると新たなる楽しさがあるかと(笑

◆Read More◆ »

| BLOG TOP |

copyright © 赤服の日記帳 all rights reserved.Powered by FC2ブログ

カスタマイズ