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DATE: CATEGORY:城館探訪
今日は児玉群の平野部城館跡全てを回るべく、家を出動した。
それで最初に着いた時間が朝の5時、早すぎる?いやいや、早朝の城館探訪もまた味があっていいのですぞ。

●金窪城
かれこれ3回目。今回行くまで石碑の裏に土塁と堀があるのに気付かなかったが、城跡の外周を回ってみて改めて城の性格を知る。

●金窪南城
ここも金窪城とセットで行くのでもう3回目。
北東方面が欠けているのは方角的に鬼門であるが故に欠けた堀を作った信州上田城に似たところがある。これを考慮すると築城者はそういった縁起を担ぐ人が作ったという性格が現れて面白い。
この城館跡の北面の遺構は素敵なり。

●勅使河原氏館
別名「勝場城」、丹治氏より出た勅使河原氏が居館としていたので勅使河原氏館が適切そうな気がする。
場所もJR高崎線が神流川を渡る付近なので非常に分かりやすい、しかしながら周囲は遺構が残っておらず。

●石蔵寺館
周囲を歩くと北面に堀と土塁らしき遺構が見当たり興奮度UPする。ただ南側は集落の造形により遺構の有無は未確認なり。


通勤時間にさしかかり、道路も混み始めたので渋滞回避を込めて昼寝する・・・朝寝か?
1時間ほど熟睡し、しっかりリフレッシュした所で、再び城館探訪を再開する。


●金井氏館
北東に堀らしき溝はあるが、当時の物とも判定しがたい。
東に隣接する七本木神社境内にも土塁があったというが、今は微高地を残すのみになっていた。
周囲の水路も当時の館跡を物語るものなのであろうか?

●吉祥院館
東面を除き遺構の範囲が分かる優良な遺構と思われる。特に北西方面は小口と思われる土塁の欠け口が2箇所ほどあり、興奮度が上がる。
南面にも土塁は残る、堀は恐らく道路造形の際に埋没したのであろうが、土塁が残っていただけでも嬉しいものなり。

●浮浜城
外周をぐるりと回ってみてみる。北面に折が見られ、北側に意識した城館跡である性格が見えてくる。
東にある興国寺の周囲も良く見ると微高地になっており、浮浜城と連動して防御を固めたのであろうか?

●阿保境館
見事なまでに遺構が無い城館跡の一つ。だが、こちらの遺構は工場敷地内で、僅かな手がかりである地形の微高地すらも失われて「根底から失われた遺構」になっている。

●安保氏館
こちらは水路という形で遺構らしきところは残るが、今度は水路が幾つも流れていて遺構の範囲を惑わされる結果になってしまう。神川町内では有名な館跡のはずだが、手前的には燃えて来ない・・・残念。

●光権寺館
新田川沿いにあった中世の寺院跡。現在では農地となっており、痕跡は残されていない。あまりにも遺構が見当たらないのでかなりガッカリ。

●中原屋敷
・・・とは書いたが行った先が中原屋敷かは不明。場所は神川町関口にある池上神社南の集落内であるが、宅地と農地になっており痕跡不明。北西方面は河段丘になっており、比高差3mぐらいもあるので物見の役割を果たせていたものと思われる。

●中新里城
文献によっては「中城」とも呼ばれる城ではないかと思われる後北条氏の要害。浮浜城と御嶽城の中間程に位置するので上州方面の守りについた平城である。
旧日本陸軍の地図には城の遺構がくっきりと書かれていたが、現在では喪失しているに近い。ただ、館跡の推定範囲に沿って溝が今も残されており、当時の名残を偲ばせる。
緩やかな丘の上にあってよく見ないと周囲より高いのが分からないほどである。

●岡部屋敷
こちらの岡部屋敷は伝承で「六弥太忠澄」が住んだと伝わっているだけなので、正確な館跡名は新里館と称するのが適切であるように思う。
集落の敷地内に土塁らしきものあり、南側は農地改革により農地になっているが、比高差1.5m程あるのでここまで館跡があったと見るのが適切かも知れない。
西側も土塁は無いが、微高地がわずかばかり残っていて、当時の様子を伺わせる。

●池田館
前回、こちらの現役館主様に冬場に来なさいと言われたので、今回はお宅にお邪魔せずに周囲を見て回る。
南の守神神社はいくらか整地されているものの、この池田館の物見櫓があったのではないかとうかがわせる土台が境内にあるが、真実は不明なり。

●吉城
一説にはこちらが御嶽城の実城(本城)だったのではないかと言われている。渡瀬の工場敷地内になっており、こちらも遺構の安否は絶望的なものになっている。
しかしながら、神流川の天然の堀を利用した館跡は、それだけで堅固に思えてならない。したがって向い側の群馬県側に行き、遺構(のあった場所)を撮影。バックに御嶽城のある山も写り、なかなかいいアングルなり。

●真鏡寺館
「逢城人」の史進様の情報により行った館跡。この地に住した児玉党塩谷氏の館跡と伝え、この真鏡寺も塩谷氏の菩提寺であると伝わる。
行ってみてビックリしたのは、堀が重機で埋め立てられている事。ここまで生々しく遺構の破壊が進んでいる現状を目の当たりにして驚く。木の形状や樹齢を考えるとその場所が堀であった可能性は高く、破壊前の堀を見てみたかった・・・。

●篠城
こちらも児玉党塩谷氏関連の城と伝わる城館跡。今も名の由来になった篠が茂っているので館跡遺構を見るのはなかなか難しい。もしかして耕地になっているところが館跡だったのだろうか?

●別所城
篠城とはかなり近く、その関連性を言われている城館跡。別名「観音山遺跡」
行ったのはいいが、もう夕暮れも迫っていてなかなか見れる状態ではなかった。ここは今一度資料を調べなおして再訪するのが適切と思い、場所だけ確認し退場するなり。


それにしても城館跡で昼寝をするのがこんなに気持ちいいものとは初めて知った(実は中新里城跡にて昼寝した)
また爽やかな風に吹かれながら城館跡で昼寝をしたいものよのう。

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