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DATE: CATEGORY:城館探訪
今日は急な依頼を和平様にしてしまい、ご迷惑をおかけしてしまったが、和平様は快く手前との城館探訪をお付き合い下さる事となり、1週間前にプチオフで行かれたという川島・吉見の城館を見てきた。

●小見野氏館
法鈴寺東側にある土盛が手前のハートを熱くさせてくれた。特に竹が自生している一帯はなかなか微妙な保存具合で、手前に更なる興奮を呼び起してくれていた。こういう小規模な遺構はやはり好きだ。

●大串氏館
以前も行ったのだがどうやら場所を間違えたようで、徒歩橋の東200mのところが遺構であるという。
外からは分からないあの折のある土塁は、きっと皆様の心を熱くさせた事であろう。
周辺にも河川の変化によって作られた窪地もあり、市野川を上手に使った遺構に嬉しさがこみ上げてくる。

●大串氏宝篋印塔
あんなくっきり彫られた字が読める宝篋印塔は実は初めてで、結構びっくり。
周辺の地形を見ると大串氏の一族がこの辺りに住んでいたのであろうか?

吉見観音(安楽寺)西側にあった土塁●吉見観音(安楽寺)
大して期待せずにご紹介していただいたが、なかなかの要害に儀一はビックリ。
更に和平様も分からなかった土塁や曲輪などが現れ、手前のみならず和平様もエキサイトされて、積極的に遺構に足を踏み入れられる。
先週行ったばかりの所という事で申し訳ないと思っていたが、ご紹介して下さる和平様も満足された様で良かった。
ただ、地形的に視界があまり良くない所を見ると松山城攻めの軍勢の陣城か?あるいはこの安楽寺の遺構になるか?現地にあった古木に聞きたい所であった。
それにしても「厄除け団子」が売っててよかった(笑

●道祖土氏館
今まで桶川等の城館を探訪する時に使っていた道沿いに、その館跡はあった。
西半分以上は農地になっていたが、東側には水堀が残っていた。また西には地形的に微高地があり、近くに変形した耕地がかっての堀の役割を果たしていたのを物語る。
現在民家になっている敷地裏の笹薮にも堀があり、なかなかの遺構に手前は満足なり。

●尾崎遺跡
送電鉄塔を建てる時に見つかった遺構らしく、現在では鉄塔が建っているのみで遺構は見当たらず。
周辺の地形を見てもその位置は若干高く、館跡がある要素は抜群にあった。

●太田道灌陣屋
養竹寺の周りを水堀が巡る太田道灌が陣屋と伝わる所。
特に北の稲荷神社の堀はなかなかの深さで、水田地帯の城館の堅牢さがなんとなく伝わってくる場所であった。

●三尾谷十郎広徳館
周囲を巡る堀はなんとなく中世の雰囲気を漂わせている。
北の町道より館跡のある広徳寺を田んぼ越しに眺めてみたら、館跡に風情を感じる事が伝わってきた。

●伊奈備前守陣屋
出丸小学校の周りをグルりと周る。
当地は荒川(中世は市野川か?)と入間川によって細長い台地を作っており、その河段丘上に作られる。
丁度小学校の下校時間だったので、きっと怪しい二人組に見られたにちがいあるまい(笑

●比企氏館
金剛寺の北側に巡る謎の堀・・・館跡にしてはあまりにも狭いその範囲に、興味が出てくる。北側にも水路があるが、これを当時の堀跡とするには館跡の範囲が狭まり謎が深まるばかり。

●中山陣屋
これがまさか秋山越中守の陣屋だとは思わず、ちょっとビックリ。またここも小学校なので肝心の石碑を撮影し、早々に退散す。

●牛村氏館
上伊草の集落にあるその遺構は水路のみを残している。典型的な集落の館跡に近く、時折暗渠化されたり用水路と併走して流れたりしている。きっと言われないと館跡とは気付かない場所の一つに挙げられるかも知れない。

●富田後遺跡
和平様にお願いして行ってみた。やはり1年前に比べて橋げたが作られて遺構は埋没していた。
なんとなく当時の堀があり、その辺りから当時の遺構を思い浮かべるのみ。


っとかなりの城館をご紹介してくださった和平様に深く感謝。
今度はまた別の町の城館をご一緒に見たい所。

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