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DATE: CATEGORY:城館探訪

今日は伊豆の城館を見て回った。


resize2424.jpg●狩野城

狩野川のほとりにある小高い丘を利用した狩野氏の城。
遺構は写真の木が生えている所より西にあり、中央に「中廓」と城主の館を置き東・南・西に曲輪や堀切を配置している。

最近では「本柿木農業公園」ができ、訪問しやすくなっており、遺構の各所に案内板を備え付けているというこの地方における山城初心者用の城館という印象を覚えた。

それにしてもステキな堀切があって久々の目の保養をさせてもらったのだった。


日向館周辺を修善寺城より望む●日向館

狩野氏が初期に住んだとされる館跡。それでも東側に流れる狩野川が急流をなしており、南北にはそれに流れる支流によって天然の堀を作っている。

丁度写真中央部の水田が堀の内という地名が残り、地元の方の話によれば発掘調査で堀が発見されたという事である。

場所は日向区公民館南側であり、北側も発掘調査をしたが何も出なかったとの事で、堀の内と称する周辺に館跡を求めるのが妥当なところであろうか。


日向館付近から望む修善寺城●修善寺城

修善寺を代表する山城であり、西側が少し尾根続きになっている以外は河川が巡っており、要害性抜群の城である。山頂には「畠山国清古戦場」と称した碑が建っており、足利基氏勢と戦う事になってしまった畠山国清の無念さが伝わってくるようである。

山頂はテレビ塔や携帯電話の中継基地になっており、本曲輪の一部が破壊されている。しかしながら本曲輪にある井戸跡だけは健在で、覗き込んでも水がありそうに見えない。

国清以後、天正十八年には織田信雄勢によって改修されたと現地案内板は示し、南側と北側の遺構では違う顔をもっているという一面を持つ。

南小学校付近より細い路地を通り南山麓にある城山神社に車を停めて行く。この神社周辺も幾つかの平場があり、修善寺城の根小屋であったのだろうか?山の中腹には少し広い平場があり、資料を見る限りではそこを水の手としている。

修善寺城より南側を望む山頂付近になると視界が開ける。狩野城もここから少しだけ見る事ができる。

日差しは強いのだが、風が吹いている為にそれほど暑さを感じない。むしろこの景色の良さに魅入られてしまいそうになる。

城山神社から新追手道をゆっくり歩いて30分程でここに着ける。ここまで景色が良いとここで初日の出を拝んでみたくなってくるので不思議。

山頂は本曲輪であるが、木々と電波塔が乱立している為に視界はあまり良くない。だが、腰曲輪などはしっかり残されていて、見応えは充分にある。

加殿地区にて柏久保城を望む●柏久保城

修善寺城より修善寺町内を挟んで東に対峙しているのがこの柏久保城である。
狩野庄を支配していた狩野氏攻略のため北条早雲が築城したと言われ、城の北には「新九郎谷」や南には「地獄谷」という地名が残り戦の激しさを物語っているという。

この辺りは駐車場が見当たらないので天桂寺にて車を停めさせてもらった、ついでに柏久保城までの道順まで教えていただき感謝。

天桂寺東側より道なりに登って行くと用水場があり、城山神社から来た道と合流する。そこから右に曲がり200mほど歩くと切り立った地形や堀切を見る事ができる。本曲輪付近からは北西にあるあの伊豆金山城も見る事ができる地形で、後北条氏の守りの要になっていた可能性も高い。


田代城入り口●田代城

源頼朝の配下田代信綱の館跡と伝わる。要害の谷津には古い墓石があり、これが田代信綱の墓であると伝える。

南側から張り出した尾根を上手に使い要害を作っている。先端部の本曲輪には狼煙台と思われる穴が塞いでおり、尾根続きには2つの堀切で防衛ラインを作り出している。更に北側も幾つかの平場を段々状に配置していて、ただの物見の砦とは一味違った複雑なつくりをしている。

県道沿いが立派な碑と解説板があるので内部は整備されているかと思いきや、物凄い倒木の数で道が消えてしまっていた。止むを得ず本曲輪と思われる場所へ直登し、本曲輪へ辿りついた。どうやら元々道も整備されていたのだが、数年前の台風によって木が倒されたままになっているようだ。

田代城本曲輪からの眺望本曲輪は比高差25m程ではあるが、大見川沿いの周辺がよく見渡せる絶好の地形である。
ここでお茶を飲みながら資料を読む。ここの田代城の下にもかっての館跡があったようで、鎌倉期の田代信綱の館跡はどうやらそちらになりそうな感じである。堀切などの整備が整っている所をみれば、遺構は戦国期に作られた砦と見るのが妥当と思える。

本曲輪西の幾つかの平場は現在キノコの栽培状になっており、寄生させる木が整頓され置かれていた。更に西には円通庵址と言われる平場があり、こちらを通常の根小屋として利用していた可能性もある。
簡素な物見砦を想像して来たが、なかなか良い遺構が見れて満足なり。

resize2643.jpg大見城(柳瀬城)

今回は山城が多くかなり手間取ってしまっていたため、こちらが本日最後の城館になると思いつつ大見城へ赴く。

柳瀬地区に城山と称する山があり、西を狩野川の支流である大見川が流れ、北側には冷川が合流する地点を利用した城である。比高差70mで東側は急な崖になっており、西の裾部分は「城ガ平」と呼ばれ、ここに館跡があったのではないかと「静岡県の中世城館跡」は指摘する。

最初この位置がイマイチ分からず、聞き込みをしている内に実成(じつじょう)寺の隣の山で、地元では柳瀬にある城であるから「柳瀬城」とも呼ばれているというのが分かった。

実成寺付近より大見城の解説板のある場所から登り始める。諏訪神社までは階段が整備され登りやすいのだが、諏訪神社より先は道が無く藪漕ぎを余儀なくされる。

それにしても写真を撮っても曲輪などが撮影できず、更には何処に居るのかも分からなくなる程の藪である。やっとよじ登ってきた本曲輪も藪だらけで、僅かに石碑が置かれている程度であった。だが、南側の尾根続きは比較的藪が少なく大きな堀切を見る事ができた。


そんな事でレンタカーを借りてまでも城館探訪をしておきながら、6箇所しか訪問できなかったのは調査不足だったのが大きい。知らずに通り過ぎてしまった城館跡もあり、それらを訪問しておけばもっと充実した探訪ができたのではと後になって残念に思う。
また伊豆に来た時にでも残りの城館跡はゆっくり探訪してみれば良いだろう。

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