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DATE: CATEGORY:城館探訪

今日は天気が大変良かったので、思わず6時半には岡部町に到着し、調査することにした。

菅沼小大膳定利供養塔●本郷陣屋
江戸時代に上州吉井に2万石を預かる菅沼小大膳定利の陣屋と伝わる。本郷地区の定光院(じょうこういん)より南南西の畑近くにあり、こんもりと土盛されているのが陣屋の北端であったという雰囲気が漂う。
噂の自然石でできた定利の供養塔が発見できなかった。

百間堀館付近にあった謎の沼地●百間堀館
出自元である「埼玉の中世城館跡」ですらあまり情報が載っていないので、詳しい事は分からず。
本郷小学校南東200m程のところに沼地があったが、これが堀跡であろうか?



●新井館
これも出自元である「埼玉の中世城館跡」があんまり情報を載せていないので詳細は不明。
針ヶ谷区内で「新井宅」と呼ばれている家がそれに当たるらしく、蔵のある立派な旧家であったが、遺構の確認までは至らず・・・この付近は本当に犬が多くて大騒音を引き起こしていた。

●今泉氏館
推定地がよく分からぬまま来てみたら、県道沿いの小高い丘上に幾つもの平場を持つお宮を発見。ここから東はずっと平坦地が続き、周囲もよく見渡せる舌状地上の要害である。しかし、丘上の一部が土塁に見えてしまうので、他の城館探訪者のご意見を聞いてみたい所。

●上杉館
「ダンダラ山」と呼ばれ、現在の保育園の建物が建っていた場所に堀跡があったという話である。ここで農作業をされていた方と「小字が消える危機」について熱く語り合ってしまう。

●西竜ヶ谷遺跡
成迫政則著「武蔵武士(まつやま書房)」に横山党野辺氏の本貫地と記されている古代~中世頃の複合遺跡。
現在の「深谷市岡部中央公園」敷地内に遺構についての書かれた解説板があり、館跡らしさを出すためか?公園内には土盛されている箇所がある。

●熊野遺跡
岡部西小学校東側に「内出」や「前屋敷」という小字があり、現在では新興住宅地造形によりほぼ遺構を見る事ができなくなってきている。だが、「内出」付近は微高地になっていて、館跡の範囲をなんとなく知ることはできる。今遺構上に造形している公園に館跡があった事を書いてくれる事を密かに願う。

●白山遺跡
「岡里団地」造成の際に発掘調査をされた場所。東隣の普済寺地区との地高差が2m近く、城館を作る要素は充分あったように思える。

●岡部館
「岡部六弥太忠澄」の館跡と伝わる地。今回はしっかりと岡部氏の家紋である「丸にはね十字」が普済寺本堂についている事を確認した。また山門付近にも僅かな土盛があり、なんとなく嬉しくなる。

●源勝院館
江戸時代の岡部藩主安部氏の菩提寺。歴代藩主の墓所もあり、北隣の白蓮寺には岡部藩主の祖岡部大蔵元眞の室の墓石もある。
それにしても近くの岡部神社の周囲の土塁の高さが異常にあるのが気にかかる・・・。

●岡部陣屋
岡部藩主の屋敷跡。それ以上に高島秋帆が3年間岡部藩に預かりの身になっていた事の方が有名であるようだ。土塁などの遺構は宅地や農耕地になって見当たらない。
なお、風が異常に強くなって目を開けていられないので、これにて終了となる。


その後お隣本庄市に行き、中世城館資料を集める。
それにしても今日は思った以上の収穫があり、個人的にはほぼ満足なり。

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