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DATE: CATEGORY:日記、その他
昨晩、ちょっと無料配信動画を見ていた。
一昔前だったらレンタルビデオ屋へ赴きビデオを借りるというのが当たり前にやっていたのだが、映像も家に居ながら見る事ができるようになろうとは・・・

だが、これも考えを変えるとヒキコモリが増えてしまう気がしてならない。レンタルビデオ屋に行くのも店員さんと少しのコミュニケーションを取る事ができるが・・・PCだと誰にも会わなくても見れてしまうから家を出て社会に出る行為が損なわれてしまう気がしてしまう・・・

だが、忙しい人にはありがたいサービスであり、このメリットとデメリットを考慮せねばならぬような気がする。
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DATE: CATEGORY:城館探訪
題名の通りの所に行ってきた。
今朝はどんよりと曇っていて天候が雨かと思っていたが、徐々に天気が晴れてくるという天気予報だったので、そのまま城館旅に載せる旧川本町の城館を探訪してきた。

●本田氏館
農林公園の北、吉野川の北岸にある館跡。
しっかりと解説板も置かれており、民家の裏庭には土塁のような土盛を見る事ができた。

●本田陣屋
本田館より農林公園寄り(吉野川寄り)にあったという陣屋。
明確な遺構はあまり無かったが、地形的に周囲の農耕地に比べ若干高い所は確認できた。

●畠山館
かの重忠公のお生まれになった地、遺構は公園化されており重忠が馬を担ぐ有名な銅像のある場所。
以前は余り見なかった周囲の土塁跡などを少々探索し、それらしき物は発見できた。

●本畠馬場
近くに馬場の地名があるので立ち寄った所、正式に館跡とはいえない所である。
「本畠駐在所交差点」の北にある八幡神社が館跡らしさを出しており、県道との境が若干の土盛がされている。

●坂下堀の内
出典は「埼玉の中世城館跡」より、同書においては特に詳しくは書かれていない。
数学者の藤田雄山(広島県知事ではない)の生家があり、同地がやや微高地になるが、南50m程に荒川が形成した河段丘があり、こちらも館跡らしさを出している。

●岡屋敷
坂下堀の内の直ぐ近くに岡屋敷という地名がある。正式な城館跡ではないが、気になったので立ち寄る。
この地は東側を吉野川が流れ、北側と西側には水路がある上で周囲に比べ2~3m程の高さがある台地になっている。堀や土塁などの遺構は見られないが、周囲の道路沿いに地形がやや高くなっている。
現在も私有地や竹林になっているので踏査せずにぐるっと周って帰ってきたのみで終わる。

●田中堀の内
国道140号線旧道の「田中交差点」南にある応正寺がその推定地。土塁と呼んでよいのか疑問に思える土の高まりがある。鎌倉期の館跡か?
近くの保育所にいたヤギさんがちっと可愛かった。

●明戸堀の内
秩父鉄道明戸駅の南東300m程の所にある八幡神社周辺がその推定地とされる。
八幡神社を館跡の南東隅とすると住宅地のある地区が丁度高まりを見せており、中世の館跡らしさを出している。また、八幡神社北200m程の所には窪地もあり、荒川流域を監視し住した武士が居たのかも知れない。

●長在家中内出
こちらも地名に釣られてきた所。
国道140号線バイバスの「田中北交差点」より南東300mの所に題字の地名があり、明確な遺構は無いが周囲に比べ若干高まっている。南北方向には水路が西から東に流れており、館跡でないにしても陣城であったかも知れない。周辺において合戦があったのか調べる必要があるだろう。


ここまでで旧川本町は終了。あれ?まだ10時・・・今日は月曜だが一応深谷市内に足を運んで見ることにした。
・・・やはり図書館が休館日だった。それでは気を取り直して深谷市の館跡ツアーとしゃれ込むとする。


●皿沼城
唐沢川のほとりにあった城。こちらは深谷上杉顕彰会という団体による案内板が設置されており、ここにかって中世の城館跡があった事を偲ぶ事ができる。
改めて周ってみたが、土取りされたとしても完全には消滅しておらず、城域が微高地という形で残されている。

●幡羅氏館
ここはそんなに期待せずに来た所だったので、民家の合間に良好に残る遺構を見て喜びを隠し切れず・・・
私有地の中なので入れず、道端で土塁や堀を眺め楽しむのみに留まった。

●東方城(熊野大明神)
前回はよく分からずに帰ったが、再調査のため改めて来てみた。
この城館跡は幾つかの館跡が集まってできた印象が強く、当館で扱う時には別々に分離して紹介した方が分かりやすいと思った場所。
最初に一番西にある熊野大明神内にある遺構を拝見。西側は小口とも思えるが、真相は不明なり。

●東方城(お庫屋敷)
県道バイバス建設の際、発掘調査を行われたとされる。東方城という括りにしていいのか疑問だが、余りにも近距離なので城内の設備であると見る事にする。
県道側に家畜場とも思える施設があるが、これも館跡と見ていいのだろうか?

●東方城(御所屋敷)
ここを本曲輪である可能性が高く、北方に突き出た丘陵地帯を利用して土塁を築いている。
市道側には東方城表示と深谷上杉顕彰会による解説板が設置されている。

●東方城(城主別邸)
これを城主別邸と呼んでいいのか分からないが、そうなっているらしい。
先の本曲輪に比べ正方形の土塁と堀が西側と北側のみに残されている。竹林となっているが、視界はそんなに悪くはない。

●東方城(お姫屋敷)
こちらも民家の裏庭にあり、西側一部のみが良好な形で残されている。
他の部分はほぼ耕地化などされてしまったが、なんとなく垣根が残り、これが当時の遺構の名残なのかと思いを馳せるのであった。

これらの東方城遺構は距離が離れているため、一つの城館跡と見るのはやや強引な気がしてならない。

●宮ヶ谷戸堀の内
東方城城域より北1.2km程の集落内にあり、住吉神社境内がその推定地とされている。
集落の西側にある農地の一部に堀跡と思える窪地が東西に走っているだけしかみられず、判断に迷う遺構であった。

●増田氏館
高見城城主増田四郎重富が初期に住んだとされる地。現地にある深谷上杉顕彰会の解説板によれば扇谷上杉氏に攻められ重富はこの地を離れ高見城へと移り住んだとしている。解説板の北西方向に良好に残る土塁があり、見ごたえがある。

●蓮沼氏館
地形の高低差のみしか残らない。携帯会社の電波塔が目印になる。
民家の敷地内に淡島神社があり、入って参拝していいのか迷った。周囲の農耕地に比べ、住宅敷地は1m程の高さがある。

●堀米堀内
まんま名前の通りの場所にあるのだが、堀は見られなかった。
代わりに先の蓮沼氏館みたいな微高地が一箇所あったのだが、面積があまりにも狭く中世の館跡として利用されていたのか疑問が残る。やはり集落の中になるのか?
それにしても三毳山が見えたのはちっと嬉しかった。

●荏原氏館
かの壁に「荏原氏館跡」と書かれたインパクトのあるお寺境内にあったとされる。許可を得て見ようかと思ったがお留守だったようなので、お賽銭を入れて内部を探訪させて頂いた。
境内の深谷上杉顕彰会の解説板によれば、戦国末期石田三成の忍城水攻めの際に取水設備として利用されたと伝えているらしい。
摩利支天堂の北側に土の高まりがあったのが非常に気になる。

●新開氏館
資料によれば東雲寺にあるとされているが、北側の集落に土塁らしきものがある。その土塁の南側は変則的な形ではあるが周囲に比べ50cm程高い地形となっている。
途中で日傘をする小学生に遭遇するが、最近の小学生はお肌に敏感なのか?

●内ヶ島氏館
大寄小学校の北西にある永光寺付近が館跡と伝わる。寺院境内に解説板と碑が設置されている。
周囲を周ってみたが、備前渠に接した部分まで土の高まりがあり、ここまで館跡があったのではないかと思える程であった。

●肥塚氏館
そこから17号線を使い熊谷市へ。肥塚氏館へ行こうと思ったら成り行きでまた成田氏館まで行ってしまった(汗
再びやって来て全景写真を改めて撮影、民家敷地内の竹林の中に窪地があり、実際に踏査してみたいと思うが許可を得て入るまで至らず。

●村岡氏館
例の「茶臼塚」の名残を見る為に訪れる。現在は民家の敷地内になっており、すっかり削平されている様子だった。周囲は古くからの民家が立ち並び、昔より人の暮らす地である事を納得する。

●谷足館
遠景写真を撮る為に、やはり夕日を浴びる遠景写真は一味違っていい感じに映る。
ついでに遺構の場所に行ってみたが、藪を見るなり気が萎えて退場。

・・・という感じで1日を使い川本町全域と深谷市一部、それにオマケに行った所とかなりの数の館跡を周る事ができた。
後は資料を見直し、新たなる情報を仕入れるだけだのう。

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