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DATE: CATEGORY:城館探訪
今日は休みで真夏の太陽の照りつける中を城館探訪したくなった。
先に私用を済ませ久々に旧県立歴史資料館へ。

改めて所蔵されている「埼玉の中世城館」を拝見したら、我が地図に記入漏れがある事が判明。しかもどんどんページをめくるごとに発見される記入漏れ、あのときは色々と急いでいたからなっと数年前の事を思い出しながら記入していく。

あ、都幾川村(現ときがわ町)の橋倉城の場所が間違った所に記入されていた。これは早速現地に行って遺構の確認をせねばと旧都幾川村に車を走らせた。



古寺砦
古寺砦遠望

埼玉県内に数件ある「破壊された山城」の一つ。小川町とときがわ町の境にあり、近くを松郷峠が走っている。写真は松郷峠から撮影されたもので、砦の西側(反対側)には鎌倉街道の慈光寺道が走っていた。
歴史的経緯は不明とされるが、近くに中世寺院で勢力があった慈光寺があるので、その出城ではないかと説もあった。
現在は県内の高松城や白石城同様、採石の餌食になってしまっている。

見るも無残な遺構・・・

平日ゆえに重機の音が峠の向こうから響いてくる昼下がりの松郷峠。
それにしてもこの惨めな遺構を見ると可哀相に思えてならない。でも上の方はまだ見ていないので「遺構が残っていたりして・・・」という甘い希望を捨てきれずにいたりする。
いずれにしても今回で3回目の訪問であるが、遺構に近づけた事がない。せめて隣の山からそっと覗いてみたい気がするが・・・。
今の季節では行く気になれないので、また秋~冬を待って行くとするか。


慈光寺
慈光寺の入り口、左手前にあるのは慈光寺と書かれた石碑

ついでに慈光寺にも立ち寄る事にした。

慈光寺は都幾山(標高465m)の中腹にあり、平安時代には関東天台宗別院として教化活動の拠点として時の権力者達の庇護の下、中世頃にはかなりの勢力があったようである。
しかし、政治が不安定になってくると慈光寺に戦火が飛んでくる事になった。康正二年(1456)には動乱に乗じて軍勢や雑人らが乱入し、経典や宝物を奪取したという。その後、文明十年(1479)には慈光寺没落という記録が出る。
寺院独自の経済的独立により復興しつつあったが、関東に小田原後北条氏の勢力拡大に乗じた上田安独斎により焼討ちを受けてしまったという。

資料によれば慈光寺には寺院跡とされる平場が幾つもあるという事で、早速探して見ることにした。

参道途中にある青石塔婆

車を走らしていたら数基の板碑を発見した。
お、だんだん慈光寺も近づいてきたという事か。

慈光寺関連と思われる平場

と、道中に早速平場を発見した。
確実にはいえないがこれも慈光寺の遺構の一つであろうか。


慈光寺の伽藍

さらに建物も発見した。ここがほぼ慈光寺の中心部と見て良さそうだ。
実は上田安独斎がこの慈光寺焼討ちの本陣として大築城を選んだのかを知りたいというのもあったので、早速地図を照らしながら大築城を見てみる事にした。


慈光寺より眺めた(推定)大築城

慈光寺に近すぎず監視できる場所にあるのがよく分かる。しかも標高も大築城の方が高く、慈光寺街道を押さえる地点を選んでいるのがよく分かった気がする。

・・・でもこの真ん中の山が大築城でいいのか?


橋倉城
橋倉城付近の平地、中央を沢が流れる。

いよいよ本題の橋倉城を訪れる事にした。また、別名大野城ともいう。
都幾川村史通史編(2001刊)によれば当地を開拓した森田氏も祖は野口弾正といい、剃髪して野口入道と称したという。その嫡子である孫三郎が天正年中に当地に入山し、荒地を開拓して大野谷村を開いたという。その字橋倉にあったという居館は「大野弾正城」と言う。
天正十八年(1590)の松山城落城の時、旧領主森田将監が流浪し来村した時、長女を娶らせ家を護り、以後子孫は森田氏を名乗るようになったという。

この館は何度と間違えており、怪しいと思って今回調べてみたらやっと正確な位置が判明したので、訪問の運びとなったり。


ゴルフ場ではないかと我が目を疑った当地。

鬱蒼と茂る林道を走っていたら、急に視界が開けた。最初ゴルフ場かと思っていたが、少々違うようだ。この少し先で行き止まりになるので折り返して来て、木陰で休んでいる方にここの事を聞くと、どうやらパラグライダーの着陸地点だという。

折角なのでパラグライダーについてお話を聞く事にした。
ここのサークルの場合、半年に三万円で活動に参加できるらしい。パラグライダーは体重に合わせて購入し、おおよそ40万円で購入して大体10年間は飛べるという。そうなると月にかかる費用は約5333円位になるだろうか。金額は高そうに思えるがそれで空を飛べるというのなら安い方かも知れない。
そもそもパラグライダーの原理は風で飛ぶのではなく、地上からの上昇気流によって空を舞うのだと言う。夏場より空気の冷えている冬場の方が飛びやすいらしいが、それでも堂平山の上から二人の方が空を遊泳しているのがわかる。

パラグライダーが飛んでいる。

目の前でも飛んでいるので早速カメラに撮らせていただいた。
確かにふんわりと飛ぶその姿は実に楽しそうだった。
それはそうと本題の城館関連の質問として、現地の地名を聞いたが「勝負平」という地名らしい。あれ?地図を見ると堂平キャンプ場の近くが勝負平になっていて、違う気がするのだが・・・まあ、よいか。
色々教えていただいたお礼を言い。早速遺構を探して見ることにした。


遺構がありそうな感じのする尾根上の平場。

先ほど車で通った場所に写真のような平場があったので撮影。周囲が若干傾斜になっているのに対し、ここはかなり平にならされているので気になったりする。
そういえば、背後に堀切があるかを見るのを忘れた。


この地は沢が流れ出していて、水の手は万全である。

谷には沢が流れていて、水の手には困らないようである。ただ、水田を作るには適さないので畑などを作っていたのだろうと妄想。




今日も色々山城を回り、夕日を眺めて一日を振り返ってみる。

なんだかんだ城館をみていると時間の過ぎるのは早い。山頂から眺める夕日がなんだか今までの楽しさを締めくくってくれているような気になってくる。
さあ、あしたからまた仕事に頑張ろう。
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