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DATE: CATEGORY:城館探訪
昨日に引き続き、今日も爽やかに城郭探訪してしまう儀一。ところがタイトル通り大変な事態に陥ってしまっという。

小柱堀の内
秩父市の北、荒川と赤平川が合流する地点に小柱(おばしら)という地域がある。このあたりは川が地形を深く削っており、絶壁をなしている。この小柱堀の内はそんな地形を存分に生かした作りになっている。城主などは調べてないので分からないが、この周辺の土豪の館跡なのであろう。北に赤平川、東に荒川、南に小さな小川がそれぞれ険しい地形を作っており、陸続きなのは西側のみ。こちらも空堀と土塁を組み合わせる事により、素晴らしい防御力を発揮する館になる。しかし、農地改革の煽りなどを受けたのか、多少の土塁以外は堀なども無し。
現在は諏訪神社境内と周辺の畑が館の範囲と推定している。竪堀も地元の用通路として活用している。

・・・正直朝の7時。寒いです、畑には霜が下りまくっており、息も白い(来る途中にあった道路の標識には「-1℃」なんて表示されてたし)お陰でトイレが近くなってしまったので、ある程度の縄張りをメモして退散。この時はデジカメは正常。

鐘掛城
城峰山の将門伝説にちなんだ城の一つ。城峰山の東尾根上にあり、標高も1003mと城峰山の1037mに迫る高さである。それゆえに城峰山の東の要となっていたであろうと思える・・・が、遺構はまったくと言っていい程ない。頂上付近も「戦国時代の山城」なんてコラムが看板に書いてあるにも関わらず、人工の削平すら見当たらず。正直「鐘掛山の間違いでは?」と思えるぐらい遺構が無い。
しかし、北方の見晴らしは素晴らしく良好で、近くの御嶽城はもちろんの事、上野国(群馬県)の平井城や、高崎城(この当時は和田城と読んでたと思う)など上州の様子がはっきりと見える。真正面に赤城山を見据えるこの地形、城としてはともかく、景色の良さでは最高に気に入りました。
場所は林道を登って石間(いさま)峠の小屋が入り口。そのまま東に尾根上に歩いていくと「鐘掛城」という案内があるので、車があれば本当に手軽なハイキングが楽しめる場所。(ただし今はからっ風が吹いていて寒いのは覚悟しておいた方が吉)
ここでいい風景を撮影した時、デジカメが撮影不能になってしまった。家に帰って調べてみたら、メモリーカードが壊れてしまっているようだった。5000円もしたのに・・・でも2年間使えたから良しとするか。


雨乞城
鐘掛城から南に伸びる尾根上にあるとされていた城。名前の由来は分からないが、おそらくは水に困った城兵が雨乞いをしたら降って来たとかいう由来があるのだろうと勝手に妄想する。
んでここも単なる伝承に過ぎず、遺構はまったくと言って良いほど無し。むしろ鐘掛城に比べてハイキングコースとしての設備が整ってない分藪コキが楽しめます。ですが木々が茂っているので視界は利かないので、冬場(でも雪が降る前に行かないと路面が凍結して行けない)の木の葉が落ちた頃をお奨め。すなわち今頃。
実は更に南の尾根には868mの山があり、こちらも雨乞城の可能性もありそうな感じがする。
携帯のカメラで撮影するが、あまりにも画像が小さいのでガッカリする。そりゃ2年半前の携帯電話だから今のやつと比べたら性能は劣るであろうが・・・もうちょっと良く写ってくれることを期待。

古矢納城
これもさして調べてないので詳細がわからんちんですが、今は神流湖に水没した街道を押さえる城としてあったと推定している。またこれはしらべないと分からないのは事実だが、それ以前にこの城の場所がまたもちんぷんかんぷん。埼玉の城館跡によれば、現在テニス場となっている場所が遺構というらしいが、立入り禁止なので調べる事ができなかった。更に上にコテージがあるのだが、ここも可能性あるんでないかと勝手に妄想。これが城探訪しすぎた人間の後遺症か?
今、城峰神社では冬桜のまっさかりで、桜より一回り小さい花が公園などを彩っていたのだが、眠いのでちょっと走った先の林道で昼寝する。

天神砦
なんだかんだで2時間寝てしまい、日が傾いてきてしまった。
そんな状態にありながら、今度は高松城の目と鼻の先にある「天神砦」を見るべく皆野町根小屋地区に足を向けた。この地名自体、いかにも中世の城郭がありそうな香りを漂わせており、手前を大いにそそらせる。
その集落の真後ろの山が天神砦で、横10mにも満たない狭い曲輪ではあるが、皆野市街を一望できる最高の場所にある。さらに高松城寄りにはそれより一回り広い曲輪があるが、堀切などの防御施設はやはり無い。標高は250m強で、集落との比高差はおおよそ50mほどある。

旗塚
今日の最後の締めくくりに高松城と日野沢川を挟んで南にそびえる旗塚と呼ばれる。山に登ってみる。ここは地元でも忘れられた場所らしく、登山道と呼べるものはなく、ちょっとしたケノモ道のみがわずかにある程度である。遺構も平場が山頂と中腹にある程度で、尾根続きである南側には堀切は無い。
北の尾根続きに道があるだろうと甘く見すぎてしまっていた。降りてみると道は無く、岩で織り成す絶壁と藪だけだった。足場もそんなに良くなく、はっきり言って自分の中の埼玉県内におけるデンジャラスな城の10位以内にランクインしてしまう程危なかった(しかも5回も滑ってこけている)
薄暗くなった午後5時、ようやく麓の墓地を発見。「墓地の発見=生活道へ通じる」なので希望の光が見えてきた。そして民家が見えて、そして県道に出る事ができた。比高差100m程度の山と油断していたのが今回の失敗、反省するとともにこれからの城郭探訪に生かさないとならぬのう。

そんなこんなで城ばかり見て回った本日でありましたとさ。

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