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DATE: CATEGORY:日記、その他
なんとか年始を乗り越えてホッとしている所であったり。
過去に「お正月だよ城館探訪」と初詣を兼ねて巡っていたのも懐かしい限り。

今年は発展準備の年として、城館探訪は本当に少なくなると思われる。
(去年も少ないと言えば少なかったのだが・・・)
ただ、勉強する事も増え、仕事の合間に本を読むというのも多くなり、
家に帰るなり眠くて寝てしまうという毎日だが、充実した毎日だと思ってはいる。
今まで知らなかった事を知る・・・本当に楽しいものだ。


いつかこれが実る時が楽しみな儀一であった。
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DATE: CATEGORY:日記、その他
新年が個人的にめでたく明けた。
昨年以上に中世城館を探訪する機会が減りそうな様相を呈しているが、
自分の将来に向けてのステップを順調に進んで行きたい所。

そんな所で毎年恒例の初日の出を見に行ってきた。
今年はとある丘陵に目を付けていて、その場所に行ってきた。
するとみんな考える事は一緒で、結構な人が詰めかけていた。
天気予報によれば関東は晴れだが、ほかの地区の方々は天候が思わしくないとか。
その分たっぷりと初日の出を見させてもらった。
ただ、カメラのバッテリーが丁度切れたのは痛かった・・・。

その後は地元の神社に行き、初詣を行う。
ちょっと行けば某有名神社があるのだが、個人的に混み過ぎるので今回もパス。
その点地元の神社は地域の人々との交流があり、焚き火もあり、ご神酒もあり、
寒い朝であったにも関わらず、それらのお陰でポカポカ気分にさせてもらえた。

かくして我が家に年賀状が届いた。
今回は住所の分かる範囲の人には出してみたのだが、こちらと同じく送ってくれた方もチラホラ。
みんな自慢の我が子を年賀ハガキに印刷しているので、親と顔が似ているのか見れるのがちっと楽しい。
城館探訪ばかりしていて迷惑かけた諸友人方、いつも年賀状をありがとう。

そんな事で年末年始、仕事がびっしりの儀一なのであった。
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DATE: CATEGORY:日記、その他
もしかすると今回の書き込みで今年最後になるかも知れない。

今年一年を振り返ると個人的には色々と変わった年になった。
それまで城館跡一筋追い求めてきたが、あらゆる視野を踏まえて勉強をするようになったし、
仕事をする楽しさというのも感じるように変わってきた。

来年に向けての方針をここで考えると「いかに心身共に健康増進を図れるか?」になりそう。
健康でなくては楽しい城館探訪も、不健康な状態では楽しさは激減してしまう。
そのためには規則正しい生活リズムにしていくと共に、食べる物にも気を使うようにしていきたい。

そして城館関連の方針は局地集中調査をモットーに、より深く研究していければいいなと思ったりする。
わざわざ遠くの遺構を見に行かずとも、地元にも歴史有る城館遺構は多く隠されているのだと思う。
流石に郷土史家の先生の様には行かずとも、埼玉県全域は調査をしていきたい所。
そのためには広く情報を集め、実際に自分の目で確かめに調査に赴かねばならない。

そんな事で来年もやる事は多そうな予感。
やる事は多いけど、それなりに充実している。
また一年後に大きく躍進した年だったと思えるように、
やれる事は積極的にやってみたいと思うのであった。
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DATE: CATEGORY:日記、その他
今日は夜から用事があるので、大掃除に没頭した。
今回の主なターゲットは衣類の整頓。
買ったのはいいけど処分できない物が多かったが、
1年間着るか着ないかで判断して処分したら、かなり片付いた。

ひとまず衣類を整頓したら寝る。
寝坊しないように心がけないと。
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DATE: CATEGORY:城館探訪
最近仕事がずっしりという感じの毎日であったので、久々に城館探訪へ赴いた。
場所は埼玉県東部を行こうかと考えていたが、気楽にいけるところという事でときがわ町へ。

●馬場(ときがわ町)
旧都幾川村には源義賢の家臣だった武士が多く住んでいたようである。
その義賢が甥の義平に討たれた後、家臣たちは都幾川地区に落ち延びたのだという。
馬場氏もその一人で、現在の大字馬場もそこから名が付いているのだという。
行ってみたがいいが、北面に緩やかな坂をなしているだけで、館跡らしきところを発見する事ができなかった。

●本郷殿ヶ谷戸(ときがわ町)
本郷字殿ヶ谷戸は坂本氏が居住していた地区で、坂本氏が殿と呼ばれていた事から名が付いているのだという。
坂本氏自体は詳しく調べていないが、恐らくは中世期より居住する在地土豪であろうか。
当地に坂本さんは多いが、格式のある家は一軒のみで、その側を殿ヶ谷戸沢という小川が流れている。

●別所内手(ときがわ町)
当地には源義賢の遺臣、加藤内蔵助貞明が住んでいたとされている。
この辺りの都幾川は急峻な渓谷を成しており、字内手の地名はこの崖に面した所にある。
道路の区割りでなんとなくここかというイメージが沸いていたが、確証はなし。

●大附内手(ときがわ町)
室町期、上田氏に仕えた某左近の住んだ場所であるという。
山間にある場所であるので、なんとなく閉塞感がありそうな想像をしていた。
大附への道はどんどん登っていき、集落に到着した頃には山腹ながら拓けた場所であった。
それ以上に価値があるのはこの集落より東京都心部の高層ビルが一望できる事である。
普門寺の西付近が内手、大附集落の東には的場の地名が残っているが、明確な遺構を発見できなかった。

●大谷ヶ原(越生町)
そのまま南下し越生町に入る。
ここ大谷は鎌倉街道上道と慈光寺道を繋ぐ道が走っていたとされ、交通が盛んな地域であった。
当地には元屋敷、堀之内、内出といった地名が残っている。
ここは以前歩いてみた事があるので、遠景写真のみで終了。

●愛宕城(越生町)
如意字白坂はかって堀の内と呼ばれていたようで、比高40m程の小さな丘が愛宕社があった事にちなみ愛宕山と呼んでいるようである。
しらさぎ団地南の丘陵部で、団地造成によりいくらか切りくずされている。
特に期待しないで藪漕ぎして行ってみたが、殆どが自然地形で、そこを屋敷と呼ぶのはいささか無理があるように感じた。


あともう数軒行こうかと思っていたが、日没により今回は終了。
まだこの近くで発見された城館まがい地が数多いので、今後も隙を見つけて城館探訪をしてみたいものである。
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