改めて自分のサイトを見直してみると・・・途中になっている事が多く、作った本人が驚いたりする。
それなりに誤字脱字もあったりしたので、こっそり修正しておく事に。
城館所在地図も掲載箇所を増やさないとと思ったりするが、あれはあれで結構作るのに時間がかかるので考えてしまうのであった。
- 2009/06/29(月) 11:56:19|
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ここ2ヶ月程の間、城館関連の事もせず仕事に没頭しておりました。
急に動くとしてもやる事が多くて手が付かないので、ぼちぼちやっていこうかと思っております。
最近神奈川県の中世城館を城郭大系でみていますが、東部の遺構は大方開発によって残っていない感じが伝わってきます。しかし、遺構が残されていない方がかえって想像する事ができるので、大いに興味を持ちます。
まあ、行くのも大変な神奈川県東部なので、今後調査するかは疑問ではあります。
- 2009/06/27(土) 09:15:56|
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2008年11月23日のW氏初の栃木県城館探訪の模様を写真と共に書く今回のシリーズ。
ついに我々の間にはブームが沸き起こったあの城に行く事に・・・。
●小中城
佐野市小中町字堀の内にある館跡で、北と西側の一部に堀を残しているだけであるとの事。
少々狭いがちょっと路上駐車をし、W氏と城館跡のある場所に向かうと・・・
ドーン!!!今まででも最も保存状態の良い堀が現れビックリ。
しかし、驚いた事はそれだけではない、隣にいたW氏の目がこの遺構を見てランランと輝いている!!
そして・・・躊躇う事なく堀底に駆け下りるW氏。
どうやら遺構はW氏の熱い魂に火を付けた模様。

堀底に一緒に降りた・・・。
埋もれてこの深さだから・・・現役時代はどんな深さなのかと気になる。

土塁は多少低くなっているが一応健在。
中世遺構がこの様に綺麗な状態になっているのは一見嬉しいが・・・不吉な予感が頭をよぎる。
そう、遺構の消滅時に見られる伐採である。

もう先ほどから生き生きしているのがW氏。
こちらも写真を撮っているが、それ以上に愛用の一眼レフをしっかり構え、写真を撮りまくる。
そして西側の遺構の保存状態を拝見すべく竹林へ。

遺構は竹林の中もしっかり残っていて、我々は喜んでしまった。

うーん、こうして南からみる堀もなかなか良い味わいが・・・

なお、南側には足尾鉱山の鉱毒事件で問題解決に生涯をかけた田中正造氏の生家が保存されている。
・・・って事は江戸期の小中城の城主は田中氏?
この遺構の保存状態を見て、私とW氏のテンションは非常に高まった!
そんなことで再び車に乗り、次なる城館跡をめざすのであった。
<< 続く >>
- 2009/03/12(木) 22:20:51|
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栃木県旧佐野市内の城館をW氏とめぐる旅は順調に免鳥城まで回ることができた。
そのまま北上し、同市並木町にある堀之内城に来た。
●堀之内城
伝承などを伝えていないが、名称からも城館であった事を想像させる。
遺構は既に堀を残すのみとされているが・・・

っと早速発見。
このまま脇道を歩いていく

その堀と思われる溝は農業用水路と並行しながら北に伸び、徳蔵寺の墓地まで伸びていた。
向かって右側が遺構であると思われる。

先ほどの溝を遺構の西端とし、そのまま中心部である堀之内集落に
するとこの辺りでよく見られるような水路が脇を流れている。

そのまま集落を抜けると農地になり、写真のところで東が一旦低くなる。
西からの距離は大体200mほどであろうか。

西側を水路と旗川、東を低地(湿地だったのか?)に囲まれている。
しかし、時代の流れと共に伝承も消え、「堀之内」という地名と僅かな地形のみがかっての中世の城があったことを伝えるのみとなっている。
それにしても本当に天気が良いので探訪が楽しい。
堀之内城跡を後にし、次なる城館に向かうのであった。
<< 続く >>
- 2009/03/11(水) 21:48:33|
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今回栃木の城館跡初探訪のW氏と回る佐野市の城館探訪、ここで3箇所目になる。
免鳥城
実を言えばこの免鳥城の訪問は2回目だったりする。

それは2005年の2月、たしか北風の強い日だったと記憶している。
唐沢山城と佐野城を訪ねた後に訪れたのが、この免鳥城であった。

そして訪れたら・・・本曲輪が見事な竹やぶだったのである。
さて、それから数年経過して今はどうなっているのだろうか?
この写真の場所は現在更地化されており、民家も建ってしまっていた。
ので写真を撮り忘れるという事態に・・・

しかし、前回は発見できなかった土塁が民家のブロック塀の向こうに!
城の遺構としては上出来な残り具合ではなかろうか?

この城は平城らしく水路が水堀となっていた様子が今も残っている。
集落の合間を堀であったと思われる水路は今も流れていた。
本曲輪付近の竹林が伐採された以外は、以前と変わらなかった免鳥城。
あの土塁もそのまま残っていて欲しいところである。
そして、再び車に乗り込み、W氏と共に次なる城館を目指すのであった。
<< 続く >>
- 2009/03/10(火) 20:44:09|
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